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大石田町
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おおいしだものがたり 第二話 絵心をいざなう最上川 金山平三

更新日:2016年3月25日

 画伯が横山から居を大石田に移し、町内の町並みや情景を数多く描写することになったのは、昭和22年2月(二丁目の庄司信吉宅)のことです。この年の4月に妻らくに送った書簡には、
雪は漸やく消えかけて來た。忙はしい事なり、何處を見ても描けるので気が散つてならぬ。本統の絵は仕上らぬ、それでも昨年よりは描けたようだ。未だ月半迫雪は描けると思ふ。五月の花時も間近か故、當分帰れそうにもないが、描ける時に描かねば東京に帰つたら繪はかけそうもあるまい。(中略)繪具が惡いので折角の繪もだいなしなれど、未だ美しさが見える小生には繪かきの幸福を味はつている。
(日動出版「金山平三画集」352ページから353ページ)

とあり、大石田在住の画伯は創作対象にも恵まれ、「繪かきの幸福を味はつている」と自ら記しています。その後、画伯は昭和26年に二丁目の庄司喜與太方(イゲタヤ薬局)に転居しました。昭和29年に東京へ引越したが、昭和39年7月に80歳で死去するまで、大石田町に住民登録していました。
 画伯は、親交のあった洋・日本画家に大石田の情景を紹介しました。大石田に来町した洋・日本画家には石井柏亭・中川一政・武者小路実篤・三上知治・小川千甕など、枚挙に暇がないほどです。
 画伯は四季の最上川、大石田の風物をあますところなく描き、数多くの秀作を残されました。
(文章 大石田町立歴史民俗資料館)

金山 平三 (かなやま へいぞう)

明治16年 神戸に生まれる。
明治42年 東京美術学校(現在の東京芸術大学)を首席で卒業。
明治45年 ヨーロッパ留学。大正4年に帰国。
大正5年 第10回文展に初出品で特選二席になる。第11回、第12回の文展も続けて無鑑査出品する。
大正8年 牧田らくと結婚。帝国美術院の審査員となる。
大正12年 初めて大石田を訪れる。
昭和11年 いわゆる「帝展騒動」のため、これ以降画壇との関係を断つ。
昭和19年 帝室技芸員を拝命する。
昭和20年 5月に、夫婦で横山に疎開する。8月に、齋藤茂吉と知り合う。
昭和22年 2月に、大石田に転居(大字大石田丙150番地、庄司信吉方)する。
昭和26年 6月に、大石田町内に転居(大字大石田丙159番地、庄司喜與太方)。
昭和31年 「金山平三画業五十年展」(東京日本橋・高島屋)を開催する。
昭和32年 日本芸術院会員に任命される。
昭和34年 日展顧問を委嘱される。
昭和39年 7月15日、死去。

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