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おおいしだものがたり 第四話 旅情・詩情をいざなう最上川 正岡子規・河東碧梧桐と大石田の俳人

更新日:2016年3月25日

河東碧梧桐の来町と大石田の俳人たち

 碧梧桐が大石田に来町したのは、今から93年前の明治40年10月8日のことでした。来町目的は、大石田に遺されている松尾芭蕉の歌仙「さみだれを」を実見することであったといわれています。
 翌10月9日に歌仙「さみだれを」を実見し、船に乗り芭蕉縁の地と当時伝えられていた「道者清水」(導者清水、町内来迎寺地内の湧水地)を実見し、船を下して黒滝山(町内黒滝地内の向川寺及び寺の裏山)に遊んだ折りの景色を紀行文「三千里」の中で「つの字なりに曲った最上川と、大石田に架った大橋(明治34年架橋の木橋大橋)と、川を挟む杉のとびとびの森と、これらの景色をフキにして衣物の裾を延べたような稲筵とを瞰下する」と記しています。

 同日夜に俳句の小集を開き、大石田の高桑月光、草刈閑哉、秋田の紫陽花が出席した様子が「三千里」に記されています。
大石田感懐
 一巻の開眼を思ふ夜寒かな
 小集
 吉原に美女売りし里や稲筵 紫陽花
 稲筵おらが在所は猿芝居 月光
 雲足の西に早さよ稲筵 閑哉
 村に陣を構ふ仮兵や稲筵 碧梧桐
河東碧梧桐「三千里」所収

 このように、正岡子規や河東碧梧桐の来町及び最上川との邂逅は、両俳人に大きな感懐を与え、当時目指していた新俳句の中に、詠み込まれました。
(文章 大石田町立歴史民俗資料館)

正岡子規 略年譜

慶応3年(1867年)から明治35年(1902年)。本名常規。号は獺祭書屋主人・竹の里人・子規など。伊予松山に生まれる。
東大国文科中退後、日本新間社にはいる。明治25年、「獺祭書屋俳話」を新聞「日本」に連載。俳句革新運動をはじめる。この分野の友人・門弟に、虚子・碧梧桐・漱石・露月・紅緑などがいる。俳誌「ホトトギス」を発刊。「写生」を主張した。
明治31年、「歌よみに与ふる書」を「日本」に連載、万葉風の歌風を唱え、短歌革新運動を起こす。根岸短歌会をひらき、伊藤左千夫・長塚節らが参加。のちの「アララギ」に継承される。その他、「病床六尺」・「病臥漫録」(明治35年)などがある。

河東碧梧桐 略年譜

明治6年(1873年)松山に生まれる。本名は秉五郎。碧梧桐と号した。明治22年高浜虚子と相識り、翌23年に子規に俳句を教わる。上京して俳誌『ホトトギス』を編集。明治39年に全国旅行に出発、この紀行文が『三千里』としてまとめられる。明治41年新傾向に傾く。明治42年2度日の全国旅行。
昭和12年65歳で病歿した。

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