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大石田町
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おおいしだものがたり 第六話 大石田のまちづくりのはじまり 大田左仲(おおたさちゅう)

更新日:2016年3月25日

1.中世の大石田

 大石田の中世に溯る記録は、ほとんどありません。現在確認されている最古の資料は、慶長14年(1609年)に安食大和守が今宿善翁寺に奉納した浄土三部経(町指定文化財)です。

 ところが、町内には室町時代に開かれたと伝えられる寺院や祀られた神社などたくさんあり、その中でも、黒滝向川寺の開山は、14世紀末から15世紀初頭にかけて行われた、と伝えられており、その後四日町の西光寺、横山の曹源院等と続き、神社では、14世紀末の創建と伝えられる熊野神社、15世紀半ばに祀られたとされる鷹巣の熊野神社(後年に岩ケ袋に移る)等の伝えがあります。

 これらの社寺を建立するには、ほとんどの場合、その近くに有力者が存在していたものとされ、室町時代から現在につながる大石田町内の歴史が見えてくる時代ということになります。つまり、前回紹介した古代の駒籠である「野後」駅の時代から連綿として先祖がつながるような家系は見られず、現在の旧家の系譜は、室町時代から始まっている家が多いことから、室町時代から現在まで町民の歴史がつながっていることがわかります。

 これとは別に、中世を特徴づけていることとして、戦国乱世の時代ということがよくいわれます。そういう時代であればこそ、供養塔としての板碑(いたひ、板石塔婆)の建立が見られ、町内には、10基以上の板碑が現在確認されており、なかでも井出八幡神社境内の板碑は、南北朝期まで溯るたいへん古い立派なものです。また、田沢ドザキ地内の板碑は「曽我五郎十郎」の伝説を伝える。これも古い板碑です。


南北朝時代に作られたとされる井出八幡神社の板碑

2.井出館主 大田左仲

 戦国の世を象徴する城館(お城や楯)として、大規模なものとして、鷹巣館や駒籠館、川前館や塩ノ沢館などがみられ、中小規模な館としては、次年子館や黒滝館、来迎寺館や小屋館、そして井出館などがあります。これらの館については、築かれた時代や築いた人、廃城に至る経過などが言い伝えとして残っている場合が多く、その中でも井出館の館主である大田左仲(大永4年、今から476年前没)については、具体的な事績が明らかであるので、ここでは大田左仲について、以下に紹介することとします。

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