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大石田町
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おおいしだものがたり 第六話 大石田のまちづくりのはじまり 大田左仲(おおたさちゅう)

更新日:2016年3月25日


井出館跡 遠景

3.大石田のまちづくりの元祖 大田左仲

 現在の大石田の町並みに整備されたのは、最上義光の時代に行われたとされているが、義光は、それまであった町並みを、最上川の最大の河岸(川港、船着場)として全面的に整え、屋敷を区画して河岸関係者を集住させた、といわれています。

 大田左仲のまちづくりは、最初に、支配地であった井出に居館として永正年間(1504年から1520年)井出館を築き、永正7年(1510年)に元八幡小路に八幡神社(後に現在地に移る)を建て、井出館の南側に家臣の屋敷を整備するとともに、永正17年(1520年)に井出に普門寺を開かせ、井出を城下町として整備しました。また、現在の四日町地内に、定期市として三斎市(毎月4日、14日、24日の3回)市場を開設し、物流を図るとともに、大石田に大田家の守護神である愛宕神社を大永初年(1521年)に創建したと伝えられています。なお、当時、四日町での市の商品としては、最上川を溯ってきた海産物や地場産品なども交易されており、大石田から舟下しされたものと見られています。

 大石田では、室町時代以降に商業が盛んに行われていたことを推測される記録があります。江戸時代、今から310年以上前に、東町から新町にかけての字「土手」地内の中から、永楽通宝が4万枚以上も掘り出されるというできごとがありました。このことは、町の人々が室町時代ごろからかなり蓄財していたこと、つまり、その頃の大石田では、商業が盛んで流通も活発で、貨幣経済が浸透していたことを示す貴重な記録となりました。

このような、活力ある大石田であるからこそ、最上義光は注目したとも考えられます。
(文章 大石田町立歴史民俗資料館)


井出館主 大田左仲の位碑(井出普門寺)

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