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おおいしだものがたり 第百七話 「最上川舟運の話」 その21.舟運の仕法(やり方)の変遷(1)

更新日:2016年3月25日

1.民間の請負差配による舟運 舟運の始まりから寛政3年(1791年)までの間

最上川が酒田まで一貫舟運が行われるようになったのは近世以降といわれ、山形城主最上義光が庄内や羽後にまたがる大領国を形成したころから徐々に隆盛を極めるようになる。

 舟運の運営や仕法(やり方)は民間の船持商人に委ねられ、請負者の差配に基づいて行われた。舟運を請負い、差配権を得るには幕府に上納する冥加金(舟運営業許認可の税金)の競争入札によって決まった。舟運にかかわる一切の業務は請負差配者の権限で寛政3年(11代将軍家斉の代)まで行われてきた。

(1)享保7年(1722年)以前の舟運の仕法(やり方)

 8代将軍吉宗以前 大石田河岸中継の片運送
舟運仕法を図示すると以下のようになる。

上郷から大石田船で大石田へ
大石田から大石田船で上郷へ
大石田から大石田船で酒田へ
酒田から酒田船で大石田へ

 慶長19年(1614年)、大蔵の清水家が亡び、清水の中継河岸が廃止され、その権限が大石田に移される。やがてに上図のような舟運仕法が確立されてくる。(「大石田町史史料編二」)
 商人荷物輸送に関する「通船定法」(船荷輸送の定)が定められたのは、江戸時代の初期(寛永末年から慶安年間)とされる。そして、大石田河岸は登り荷物も下り荷物も一旦荷物を積み替える「中継河岸」として栄えることとなる。

(1)三河岸体制による運送

この時代は三河岸体制といい、商人荷物の取扱いは三河岸に限られるとされた。その三河岸とは、最上川下から清水(最上郡大蔵村)・大石田・船町(山形)である。横山河岸は清水河岸の枝河岸とされ、清水の支配下に置かれていた。

(2)大石田中継による輸送

この仕法は「大石田河岸中継運送」といい、酒田から登ってくる荷物は大石田河岸で積み替え、大石田船で上郷(大石田より上流の地域)へ登す。上郷方面から下される荷物は大石田河岸で積み替え、大石田船で下す仕組みである。大石田河岸は、中継河岸として最上川船の統制・差配を大石田河岸が独占的に請負っていた。

(3)大石田と酒田間は「片運送」

大石田と上郷間の荷物は「登り荷」も「下り荷」共に大石田船を中心に取り運ぶ。大石田と酒田間の荷物は「下り荷」は大石田船を中心に、酒田からの「登り荷」は酒田船を中心に運ぶ。大石田と酒田間は片運送のきまりによって行われた。


大石田河岸のあたり

執筆者 小山 義雄氏

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