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大石田町
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おおいしだものがたり 第百五十七話 惣町(そうまち)大石田12

更新日:2016年3月25日

惣町大石田

8.雪と飢饉

(1)雪

 大石田は雪の多い所で江戸時代の安永3年に次のような記録がある。
 同年12月6日より雪降り続きで、近年にない大雪となった。最上川は雪氷で囲い込まれ、渡船を止めることとなった。上の瀬は少しは空いていたが、岸場は吹雪が囲い込み13日より通行できなくなった。16日には雪が晴れたが、下川原より渡船場まで雪氷が囲み、大船・小船は凍り付けとなった。帆柱を立てている船などは傷んでしまった。昼時になって氷の半分ほど横山の方から溶け始めたが、氷がたたみ川岸に行かないよう申しつけた。16日夜大いに寒く、17日朝上瀬より川通りまで氷がいっぱい張りつめた。古人の覚え聞かないことであるという。
 安永5年正月には、大雪のため、家々では毎日のように雪降ろしを行った。それでも足りず雪降ろしの人足を雇うこととなったが、大石田の町中には人がいないので、今宿村やその外の村々から雇った。賃銭は120文から160文である。古い家や人不足の家は傷み損じた。
 同6年3月3日は井出八幡神社の祭礼である。この年も大雪で、平地で4尺も雪があった。八幡様の神前での湯立場は、4尺の雪を掘りぬいて行われた。去年のこの節は桃の花が咲いており、生花としてあげたものであった。今年はつぼみも見えず、桃の木は雪折れであった。
 同年11月は下旬になっても雪が降らず、12月の1日、2日にはぞうり道(雪が無くぞうりで歩ける道)であり、来迎院に行くのに、せったで行った。井出よりではぞうり道でもあった。3日より少し雪が降ったが12、3日頃までは雪降ろしの必要はなかった。(月日は旧暦になるので約1カ月のずれがある。)

(2)飢饉ききん

 江戸時代には再三の飢饉に見舞われたが、天明3年の飢饉は最大のものと言われており、これは長雨・冷害の連続と、浅間山の噴火が原因といわれてきた。特に東北地方はひどく、餓死者は10万人に及んだといわれている。翌天明4年、四日町名主岡村半右衛門が「辰記録」という記録を残し、当時大石田の飢饉の様子を書きとどめている。正月から12月までの1年間の貴重な記録であるといえる。
 まず、大石田の飢饉の様子はどうだっただろうか、1月17日、半右衛門は尾花沢役所へ再び疫病(流行性のたちの悪い病気)が流行りだしたことや、乞食が村々より出てきたこと、松皮取りに幕府の林に入る者のいることなどを報告している。松皮とは松の木の皮をはいで、松皮餅として食べたらしいが不詳。
 2月2日、去年の秋頃から今日まで家族連れが何人ともしれず毎日町を通っている。近村より出てきた乞食は食糧が乏しいために、顔はやつれ青ぶくれになって、目もあてられない。同9日、惣町役人が又左衛門宅に集まり、極貧で乞食をしている人数を数え上げた。
 大石田66人、四日町49人、柏倉領45人、本町56人、合計216人と記録している。これらの人々は薪がないので、1人9せき(1せきは1合の10分の1)ずつ粥にして施した。薪は土屋作兵衛が準備し、岡村・土屋・村岡の三家で炊きだしを行った。

執筆者 清水 助太郎氏

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