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おおいしだものがたり 第百六十一話 惣町(そうまち)大石田16

更新日:2016年3月25日

惣町大石田

9.出羽三山参詣と大石田

(1)参詣コースと大石田

 江戸時代には、山形県は出羽の国といわれていた。そして秋田県を羽後といい、山形県を羽前と称した。この羽前の国に羽黒山・湯殿山・月山の三山があり、それぞれの山に神社が祭られていた。羽黒山本殿の前に御手洗池があり、この池から多くの鏡が発見されているが、中でも平安時代の鏡が多く発見されている。このことは、すでに平安時代から三山信仰があったことを物語っている。しかしこの時代に三山参詣人が大石田を通ったかどうかはわからない。たしかに大石田を通ったことがわかるのは江戸時代になってからである。江戸時代になると全国の街道が整備され、山形県内を走る羽州街道を大名や旅人が往来した。やがて庶民の生活が豊かになると、有名な神社・仏閣参詣の名のもとに、全国的に旅行熱が広まったといわれている。出羽三山参詣もこのような流れのもとに多く訪れた。
 大石田は三山参詣コースの重要な拠点に位置し、当町を訪れる参詣人を「導者」と呼んだ。他市町村では「道者」と称しており、導者の文書はなぜか大石田のみが「導」を用いている。
 大石田では「導者」に関する記録として残っているのは江戸時代になってからである。安永元年作成の「惣町覚書」という古文書があり、次のようにのべられている。
 寛永13年の頃の伝えによると、横山来迎寺に「導者清水」という泉がある。通称「ドヤスズ」と現在も称している。ちょうど今宿薬師堂のそばを最上川をはさんで向かいにあたる。昔往来する導者がここで一休みし、月山へ登ったという。また、長井政太郎著「大石田町史」によると、仙台・村山方面から来る導者の一部は境目から最上川を渡って小菅・来迎寺を通り、大高根山中腹を経て次年子村に至り、大畑山・舟形村の柴橋を通り滝ノ沢・豊坂・肘折に至り、そこより月山参詣をしたと述べている。
 三山参詣コースは大きく分けると二つとなる。一つは現在月山街道に沿ってあった旧道の六十里越えである。もう一つは関東地方の栃木・茨城県と仙台や宮城県などであり、関東地方の人々は羽州街道を通って山形に入り、ここで六十里越えと、大石田方面へとに分かれたものと思われる。中には仙台・松島を見学し、そこより尾花沢へ至る銀山の奥にある軽井沢峠を越えて尾花沢・大石田へと来たようである。また、この道は岩手県の導者も利用したのではないだろうか。
 大石田に到着するのは夕方で、大石田に一泊し翌早朝うす暗いうちに乗船し清水まで下るのである。大石田に宿泊・乗船する導者は、経費もかかるだろうが陸路を歩くのと比べればいかほど快適な楽であったかと思われる。今でいう観光バスを利用するようなものである。
 古口に至ると再度乗り換え、清川に至り、そこより陸路を通って羽黒山に至るというのが当時の定法であった。最上川の美しい風景を眺めながら弁当や酒でも飲食しながらの三山参詣コースを旅するのは、最もぜいたくで印象深いものだったかもしれない。

執筆者 清水 助太郎氏

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