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大石田町
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おおいしだものがたり 第百六十四話 惣町(そうまち)大石田19

更新日:2016年3月25日

惣町大石田

9.出羽三山参詣と大石田

(4)町営から請負制へ

 年代を経るごとに参詣者が減少する。元禄年間からみると文化年間は5分の1である。このような減少傾向は全国の寺社にも見られる。ところで導者による利益はどれほどあったのだろうか。例とし寛政5年の導者目録によると、導者数は5,238人である。この内宿泊・乗船した数は4,105人、総収入761貫文である。この収入から諸経費を引くと、約214貫となり町の利益となる。この214貫文を金貨の両になおすと、この年の両替え1両が銭5貫600文であるから約38両となる。この当時は小判1枚(1両)を盗むと首がとぶといわれ、庶民生活には金貨は縁がないといわれたものである。当時水夫かこの1年間の契約金は1両相場であった。この年の米相場は1升約40文であるから、米になおすと53石5斗、約134俵となる。これらの収入に目をつけ、通路変更や請負希望者などが出てきた。多くの導者があれば問題がおこらないが導者減少はいかんともしようがなかった。元禄年間頃は「導者船」とよんでひらた船を利用していと思われるが、明和期になると導者船の名がなくなり、3人・2人乗りの船にかわった。つまり小型の船に変ったのである。しかし小型の船でさえも乗船定数の20人が集まらず船待ちさせ、すぐ船下りをしたいといえば増運賃を取り運航し、船の経営を維持したものと思われる。しかし客数の減少は船の維持さえ困難になっていく。
 これらの根本的な原因はいかんともしがたく、対策はたてたが年々の減少は止めようもなく、町営の意味を失ってしまう。つまり収入の減少は惣町運営費の不足であり、今でいう会社の経営が成り立たなくなったのである。
 文政2年以降は11貫文の定額で請負制となり、天保年間には「導者目録」の帳簿もなくなり、「町目録」に請負銭4貫文としてのみ記載されるようになる。すなわち町目録1本の財政運営となるのである。

天保2年 町目録 御大名様方御通行
 津軽左近将監様 昼詰
 戸沢大和守様 宵2夜
 津軽越中守様 宵詰
 六郷兵庫守様 昼詰
 佐竹右京太夫様 前後
 岩城伊予守様 宵詰
 酒井左衛門尉様 宵詰

 大名行列の場合行列の諸荷物を運ぶ義務が百姓にあった。助郷すけごうといい決められた場所に集まり次の宿場まで荷物を運んだ。
 導者目録によると、収入項目は5項目に分かれており、そのうち「役下」が収入の主なるものであった。

寛政5年 5,238人(合計)とう(食事か)
収入項目 人数 項目内容
役下 4,105人 旅篭・乗船セット、主たる財源
無とう陸路 82人 食事内、翌朝徒歩、宿泊のみ
陸通 106人 大石田を通路・旅篭・乗船なし
無とう 742人 乗船のみ、料金90文か
203人 素通り、収入なし

執筆者 清水 助太郎氏

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