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おおいしだものがたり 第百七十九話 おおいしだ記憶遺産1 大石田公園ベンチ

更新日:2016年3月25日

 普段は気がつかないで生活していますが、身の回りには、ふと気になって調べてみると意外な歴史や発見があるものが多くあります。大石田町には、数々の歴史を秘めた記憶遺産とも呼ぶべき、ものものが残されています。今回から、現在も見ることができるそうした遺産を取り上げ、ご紹介していきます。

 大石田駅から佐田町に県道を下りていくと、左手に赤坂稲荷神社があります。その上手にある公園は、大石田公園や上ノ原公園とよばれる、昔から桜の名所の公園でした。『写真で見る大石田のあゆみ』には、花見や招魂祭の余興で相撲をした写真などがあり、町一番の憩いの公園だったことがわかります(写真1)。


(写真1)

 現在この公園の一角に、コンクリート製のベンチがひとつあります。今回の主役はこの、一見何気ないベンチです。丸太を横にしたような形で、枝形の背もたれや、年輪などが刻まれたデザインとなっています(写真2)。


(写真2)

 このベンチには「寄附 後藤市蔵」と制作者の名前が刻まれています(写真3)。


(写真3)

 この後藤市蔵こそ、大正から昭和初期にかけて活躍した左官で、大石田のこて絵を有名にした人物です。

 号を「玉舟(ぎょくしゅう)」と名乗り、大石田きっての左官であった後藤市蔵(1895年から1946年)は、初代が船乗りで、2代以降代々左官を家業とした後藤家の4代目です。大正3年、19歳で東京に修行に出て、3代目「伊豆の長八」に弟子入りし、昼は左官を学び、夜は夜間学校で建築を学びました。

 大石田に帰郷するとその最新の建築技術や左官・セメント技術を駆使し、町内外の建造物にたずさわり、その才能を発揮しました。
 現在でも見ることができる後藤市蔵の係わった建造物は、高桑家洋館(本町)・神部家土蔵(愛宕町)・銀山川に架かる「せことひ橋・河鹿(かじか)橋」の設計・建築、聴禽書屋の左官技術、能登屋旅館をはじめとする銀山温泉旅館の看板や戸袋のこて絵など、いたるところで目にすることができます。現在まで残されて使われていることからも、その技術や意匠の高さをうかがい知ることができます。

 この後藤市蔵が自ら作成し、左官の技術を披露し、永く親しまれ残されるデザインを施したベンチを寄贈したことからも、この人物が町に寄与した功績と人柄を偲ぶことができます。また、このベンチにも見るように、「大石田町は大工と左官の職人の町」と言わしめた、大正から昭和にかけて活躍した職人たちの技術を今に伝える、多くの建造物が町内に残されているのです。

執筆者 歴史民俗資料館 海藤

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