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大石田町
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おおいしだものがたり 第四十八話 新たに発見された江戸時代の大石田大火について 炎上したお雛さま

更新日:2016年3月25日

 大石田町立歴史民俗資料館に保存されている古文書の中に、「大石田惣町関係文書」と呼ばれている江戸時代から引継ぎされている古文書(町指定文化財)があります。この中に、これまでほとんど知られていなかった大石田大火に関する貴重な記録が含まれていることが、このほど史料整理の過程で発見されましたので、次に紹介します。

 今回発見された史料と、これまで確認されている史料からその火災の状況を再現すると、今から196年前の文化5年(1808年)3月2日「九ツ時」(真夜中)に、大石田村の三太郎宅から出火した火の手は、またたく間に両隣に類焼、飛び火した火の粉は道向かいに達し、浄願寺門前付近から道の両側横町角まで東側30軒、それから枝分かれした火の手は乘船寺門前9軒を焼き、大通り西側は31軒、合計70軒が焼失するという大惨事になりました(戸田榮一氏編『戸田家のあゆみ』を参考)。この火災を受けた人々は、「当時強烈な東風が吹き家並みに間もなく燃え移り、火の廻りが早かったため程なく大火となった」と記録されています。

 村別の罹災軒数を見ると、大石田村21軒、本町14軒、四日町16軒、柏倉領大石田村(現在の甲番地)19軒、合計70軒と、新町二丁目地区を除く大石田の大通りが軒並み類焼し大惨事となった様子が、うかがわれます。このような大火は、江戸時代には幾度となくあり、しかもその発生時期が、旧暦3月から6月にかけて多く見られました。

 ところで、この大火が発生した3月2日の夜とは、桃の節句の前夜にあたり、当時はこの日までお雛さまを飾り、夜には「宵節句」としてお供えをし、まつった日でした。そのため、各家々にはお雛さまがまつられていましたが、この大火で火の廻りが速かったと伝えている事から、真夜中に着の身着のまま焼け出され、お雛さまが持ち出せずに炎上してしまった家もあったことが考えられます(幸いけが人は、なかったと記されています)。

 もしそうだとしたら、焼け出された人々は家や財産とともに、大切に守り伝えてきたお雛さまも失ったこととなり、悲しい桃の節句となった人々の姿が、この史料の行間から伝わってくるようです。勿論、持ち出されて大切に守られたお雛さまも多くあり、それらが現在まで大切に伝えられ、大石田のお雛さまとして、現在全国的にも注目されています。


文化5年 大石田大火出火届け(部分)

※資料館企画展「雛人形・古典人形展」で展示
(2月22日から4月4日)

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