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大石田町
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おおいしだものがたり 第七十六話 尾花沢鉄道開業から80年

更新日:2016年3月25日

 明治時代に大石田まで既に鉄道が通っていましたが、それに連絡する希望を持つ尾花沢地方の人々や、尾花沢周辺から産出する亜炭や米、木材等の貨物を奥羽本線大石田駅まで輸送することを目的として、大正14年(1925年)8月25日、尾花沢鉄道株式会社(以下「同社」という)が創立されました。本社を尾花沢に置き、資本金20万円(1株50円、4千株発行し、同年11月末日の株主は542名)です。役員は、社長鈴木彌兵衛をはじめ、専務高宮常太郎、取締役4名のうち2名、監査役5名のうち3名が尾花沢地方から選任されています。(大正14年11月、同社『第壱回事業報告書』による)。

 大石田から尾花沢間、約2.6キロメートルの区間を1年ほどで敷設し、開業したのは、今から80年前の大正15年(1926年)8月16日です。当初は蒸気機関車2両、客車2両、貨車4両で運行していました(大正15年下期、同社『第参回事業報告書』による)。

 開業1年間の営業実績は、日数289日、旅客人数13万5880人、旅客運賃1万1887円30銭、貨物トン数1万920.6トン、貨物運賃5623円97銭、諸収入を加えた収入合計2万976円34銭、営業費1万8786円21銭でした(昭和2年下期、同社『第五回事業報告書』により集計)。

 その後は、世界恐慌や大凶作にも見舞われましたが、経営的には安定していました。戦時中の昭和18年(1943年)9月、山形交通と戦時合併、同じ区間のバス運行も許可され、徐々にバス輸送の網の目が細かく張り巡らされてゆきました。

 昭和27年(1952年)9月に、蒸気機関車からディーゼル機関車へと切り替わり、時代の流れに対応しようとしましたが、大石田から尾花沢間の輸送は、次第にバスやトラックに押され、旅客は昭和32年(1957年)度を頂点に、貨物は、昭和38年(1963年)度を最後の頂点に、その後減少の一途を辿りました。

 今から36年前の昭和45年(1970年)3月、山形交通の取締役会議で、尾花沢線の営業不振と施設老朽化によりバス転換が議論され、同年6月に尾花沢線の廃止申請が出され、9月10日に廃止となりました。9月14日に「さようなら尾花沢線」という式典が行なわれ、最後の列車が運行し、44年間の尾花沢鉄道の歴史に幕を閉じました。

この物語紹介に、下記の文献によるところが多くありました。

  • 大石田町史編纂委員会編『写真でみる大石田のあゆみ』(大石田町発行)
  • 「私鉄」・『山形県大百科事典』(山形新聞社)
  • 鈴木洋・若林宣著『RM LIBRARY 山形交通 高畑線・尾花沢線』

 (株式会社 ネコ・パブリッシング発行)


山形交通尾花沢線(昭和45年5月)海藤忠男氏提供


尾花沢鉄道株式会社「営業報告書」(個人蔵)

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総務課 総務グループ
〒999-4112 山形県北村山郡大石田町緑町1番地
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