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おおいしだものがたり 第七十七話 「齋藤先生病床日誌」について

更新日:2016年3月25日

 歌人・齋藤茂吉は、戦後間もない昭和21年に大石田に移居し、間もなく病気となり、日記を記していませんでした。その時期について克明に記した貴重な「齋藤先生病床日誌」(以下「日誌」という)があります。今回は、この「日誌」について紹介します。なお、今回の紹介については、当資料館館長板垣一雄氏の解説によりました。

 昭和21年2月1日に、大石田での移居生活に入った齋藤茂吉は、その年の『短歌研究』5月号に随筆「十日間」を発表しました。これは、移居後間もない3月1日から3月10日までの間の日記によりながら随筆としたものです。その中で病の徴候にも触れています。そして、この直後より病臥した茂吉は、3月14日に佐々木医師の往診を受けて左湿性肋膜炎と診断され、安静療養することになりました。病状が重篤でしたので、専ら看護に当たる人を付けるのがよいという医師のすすめで、板垣家子夫は縁故の看護婦板垣チヨヱに依頼し、3月18日に病床の茂吉に引き合わせました。この看護婦が「齋藤先生病床日誌」の存在に係わる人となりました。

 当時、齋藤茂吉が記していた日記は、病に臥した直前の3月11日まででその後6月10日までの間は空白となっていましたが、この空白を埋め、病に臥している間の状況を知ることができる「日誌」が存在し、大石田町で所蔵することができました。

 この「日誌」は、2つ折にした400字詰原稿用紙(わら半紙)15枚に、表と裏2つ折り1枚ずつの計17枚を重ね、右上角をこよりで綴じ、別に体温グラフ1枚を添えています。その表紙には、「昭和二十一年三月十三日より同年六月十日まで」と記していますが、「日誌」の記載は3月21日より始まっています。3月11日までは順に日を遡って記し、3月10日は月日のみの記載で、そこで1本の線を引き3月22日に移っています。

 つまり、「日誌」の記載は、実際には3月11日からということになります。さらに3月22日までは板垣家子夫の筆跡で平仮名遣いとなっています。これは、おそらく22日に茂吉の口述により日を遡りながら書き、付き添う板垣チヨヱに要領を伝えたことと考えられます。23日からは板垣チヨヱが口述をもとに書いており、仮名は片仮名遣いとなっています。

 この「日誌」の3月11日は、茂吉日記と重複していますが、「日誌」には原稿を書いたという記載があり、茂吉日記にはこの記載がありません。この原稿は、おそらくは随筆「十日間」の原稿と見られます。病が進行する中で、3月10日の後、1日か2日ぐらいの間に原稿を書き終えたものと考えられます。

 「日誌」の記載はこのようにして始まり、病に臥す直前より6月10日までの間の曜日、天候、体温、食事、診療、看護手当のこと、見舞い、来客等の往来、書簡の往来、起居行動や主な出来事などを記していて、末尾には看護に当たった板垣チヨヱの所感の記載があります。

 この「日誌」を翻刻・影印した史料集が『齋藤茂吉病床日誌』で、故齋藤茂太氏の承認を得て、今月末には資料館で頒布できるよう、ただいま印刷中です。頒布部数は300部、頒布額は1,000円の予定です。

※この『齋藤茂吉病床日誌』は、平成19年3月末で完売しております。


『齋藤先生病床日誌』表紙

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