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大石田町
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おおいしだものがたり 第七十九話 昭和初期のお雛さまと「雛天神」について

更新日:2016年3月25日

 今宿の加納利喜雄氏から、昭和初期ごろに購入したと伝えられている古今雛1組を資料館にご寄贈いただきました。そのお雛さまは、明治後期から大正時代にかけて流行した小ぶりなお雛さまで、男雛は高さ8.0センチ、女雛は7.4センチ(冠を含みません)あります。お顔の表情が写実的で、しかも衣装が豪華である点など、大正時代のお雛さまとは、少し違っているように見受けられます。(写真参照)

 当資料館では、これまで戦前のお雛さまが無かったため、お雛さまの時代別展示ができませんでしたが、このほどのご寄贈により、初めて大石田に現存するお雛さまの時代別展示ができるようになりました。今から300年以上前の享保雛を初めとして、享保期の代表的な享保雛2組(佐藤家と二藤部家、同家の竹田人形も初公開)、享保期よりもやや時期的に新しい享保雛1組、江戸後期の古今雛2組、明治・大正・昭和(戦前)の古今雛各種、そして、戦後の現代雛2組等を、現在展示しています。

 今回寄贈されたお雛さまと一緒に、堤人形と見られる小さな天神様(高さ8.4センチ、写真参照)も展示しています。この土人形がもう一つあり、対になっている場合には、「雛天神」(ひなてんじん)と呼ばれ、秋田から当地方にかけて昔から伝えられてきたと推測されることがあります。(雛人形研究家 藤田順子氏の御教示によります。)

 昔、お雛さまは高価で、一般庶民はなかなかお雛さまを購入できなかった時代に、何とかお雛さまをお飾りし、家族、特に女の子の幸せを願った時に、天神様を2体買い求めて飾り、お雛さまとしておまつりした、ということがありました。

 版画家として有名な秋田の勝平得之(かつひら とくし)氏の作品にも、「雛天神」の版画(写真参照)があり、雛壇の上段に天神様2体(内1体は女の子の手にあります)、つまり「雛天神」を飾り、両脇に左右大臣を置き、その下の段には、その家にあるさまざまな人形を一緒にお飾りしたものです。版画の女の子は、何か微笑んでいるかのような笑顔で、お雛さまを飾っている様子がわかります。

 このように、大石田では、町中で雛祭りが行なわれ、家族、特に女の子の幸せを願い、春を告げる行事として、現在までずっと続いています。

※町内四日町の二藤部家で所蔵されている享保雛1組と竹田人形4体を資料館で初公開します。あわせて、本町佐藤家の享保雛も公開します。 4月8日(日曜)まで


昭和初期の古今雛と雛天神(加納利喜雄氏寄贈)


勝平得之氏版画「雛天神」(個人蔵)

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