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大石田町
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おおいしだものがたり 第八十一話 俳人・松山玖也の来町について

更新日:2016年3月25日

 元禄2年(1689年)5月、俳人・松尾芭蕉は門人の河合曾良を伴い、「おくのほそ道」紀行の旅に出ました。芭蕉が大石田に来町する21年前の寛文8年(1668年、今から339年前)に、関山峠を越えて県内入りし東根・楯岡・土生田を経て大石田に宿泊、そこから乗船して坂田に至り、象潟を往復して出羽三山を参詣して、陸路清水から尾花沢そして天童を経て山寺に行き、山形を通って笹谷峠から仙台へと向かった俳人がいます。その俳人こそ、西山宗因の「長老」と呼ばれた松山玖也(まつやまきゅうや)です。

 松山玖也は、この年4月に仙台を訪れて、仙台の俳人朝田一車を伴い4月19日に出発し、仙台に帰るまで12日間の奥羽紀行でした。玖也がこの紀行を書いた俳書が「松山坊秀句」(東北大学図書館所蔵)で、直筆の1巻のみ伝えられている貴重な史料です。この旅のねらいは、今回資料館で展示している飯尾宗祇(いのおそうぎ)が書いたと伝えられている『名所方角抄(などころほうがくしょ)』にある歌枕の場所を確認するためでした。


伝飯尾宗祇著『名所方角抄』(木版本)の内「出羽国分」

 関山から県内入りした松山玖也らは、東根を通り飯田(元飯田)で昼休みし、推定ですが4月20日(陽暦5月31日)に、大石田に到着し1泊しました。大石田で詠んだ発句2句と、大石田から黒滝を眺望して詠んだ発句1句も収録されていますので、「松山坊秀句」の大石田に関係する部分を、次に紹介します。

大石田に一宿しきりに降りけれハ
 所からや大したゝりて夏の雨
 茂あひていつれ大したかき蕨
むかひに黒滝と云を見やりて
 黒瀧や白き筋なし五月雨
(新田孝子「松山坊秀句」『文芸研究第46号』から引用)

 大石田に到着した日は雨天だったようで、前書きに「雨しきりに降り」と梅雨空であったことから、「所からや」の発句は、大石田という場所がらか、として「大したゝりて」つまり大滴りの夏の雨という句となっています。また、「茂あひて」の発句も「かき蕨」つまり鉤蕨(かぎわらび 頭が曲がった蕨の芽)のことを詠み、繁茂してゆくゆくは立派な蕨になるだろう、という句となっており、繁栄する大石田を詠んだものと考えられ、注目されます。

 ここで面白いことは、「大した」大石田を掛けていることで、同様に黒滝を眺望した発句も、黒滝と「白き筋なし」ということを関係させた句で、これは当時流行していた「貞門俳諧(ていもんはいかい)」でよく用いられた縁語や掛詞であり言葉遊びのような発句であったため、これまであまり注目されませんでした。

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