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おおいしだものがたり 第八十七話 「最上川舟運の話」 その1.古代の舟運

更新日:2016年3月25日

1.古代舟運の主力「独木舟(まるきぶね)」

 昭和6年、旧藤島町古楯跡の畑の中からひどく腐食した丸木舟が発見されました。その後、同11年、考古学の権威で早稲田大学の西村真次教授が第二次発掘調査を行いました。新たに長さ12メートル、幅1.2メートルの丸木舟がみつかり、博士の鑑定で国内最大級の丸木舟で、約1千年前の奈良時代末期から平安時代中期ごろのものと分かりました。藤島町は最上川左岸に位置し、支流藤島川を通じて舟運が行われていたところです。(『最上川 歴史と文化』読売新聞山形支局)。この丸木舟は最上川舟運の古代の様子を知るうえで貴重であるということで、『山形県の文化財』(県教育委員会)に指定されました。


山形県指定有形文化財『独木舟(まるきぶね)』 (山形県教育委員会発行「山形県の文化財」より)

2.百姓、「丸太舟」で酒田湊と交易

 「往昔、最上川には河岸(かし)と言う所も、ひらた舟(ひらたぶね)と言うものもこれ無く、酒田湊へは丸太舟にて百姓直き納めにて、その限り納めたように承っております。」(分かりやすくした)(二藤部喜一郎家文書『大石田町誌』所収)
 やはり大石田近辺でも丸太舟を用いて、百姓自ら酒田方面へ交易活動を行っていたといえます。勿論この当時は河岸場というものもなく、また船舶の規制も物資の輸送に対する課徴金もなく、自由に往来していたものと思われます。すべて自己責任、相対責任で行われていました。人々が生活上必要に迫られた自然経済的な舟運は、太古の時代から行われていたのです。

3.最上川の「稲舟」

最上河のぼれば下る稲舟のいなにはあらずこの月ばかり
(「古今和歌集 巻20 東歌」)

 平安時代の延喜5年、醍醐天皇の勅命により紀貫之などが中心となって編纂が開始された古今和歌集の東歌の部に、最上川が詠まれた最初の和歌として県民の多くの人々に広く知られています。
 この和歌集に出てくる「稲舟」というのは、当時、農民が税として物納していた稲を運ぶ小舟を指していたものだと言う考えの人もいます。ともあれ、この時代から最上川では、農作業に稲舟が盛んに利用されていたことが分かります。旧稲舟村(現新庄市西南部)の名称は、この古歌に由来したものです。

執筆者 小山 義雄氏

ひらたは舟編に帯

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