おおいしだものがたり

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  歌人・齋藤茂吉(以下「茂吉先生」という)が、戦時中に上山に疎開した後、今から60年前の昭和21年1月30日に大石田に来て、2月1日から町内四日町の二藤部兵右衛門家の離れ「聴禽書屋(ちょうきんしょおく)」(写真参照)に移住しました。

 大石田在住時代の短歌850首は、歌集『白き山』に収められており、その中でも代表作として広く知られているのは、
     最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも

です。この逆白波の短歌を刻んだ歌碑は、乘舩寺の境内にあります。(写真参照)逆白波の短歌ができる契機となったのは、同年2月18日の出来事で、板垣家子夫の談話によれば、
  「先生、橋さ行ってみると、川さきっと逆さ波立ってえんざいっす。」
  こう知らせるように言うと、先生は俺の服の端を引っ張って歩みを止めさせ、哀草果さんとカクにさんが、二・三間先まで行ったのを見届けると、俺の顔を睨みつけながら、
  「今、君、何と言った。」
  「逆さ波立っているかも知んないと言ったんだっす。この風だとなっす、先生。」
  「何っ、君。君はいつまでもそう云う大切な事を平気で大きな声で言う。そう云う境地は君が  知っていて持っている君だけのものだ。それを腹の中にしまっていられずあけすけに大きな  声で言う。こういう大事なことは君だけが心の内にしまっておいて、自分が歌にするまで黙っ  ていて人には決して語るべきものではない。君が今言ったこと哀草果に聞かれてしまったら  、哀草果は必ず歌にするっす。ほんなことでは駄目だな君。だからいつまで経っても歌が上  手にならねだっす。」
  (大石田町立歴史民俗資料館編「大石田の茂吉歌碑」より)
とあり、言葉をたいせつにしなければならない事を戒めています。


 その頃から体調に変化が現れ、3月に入ると、「湿性肋膜炎」という病気で倒れ、命も危ぶまれる状態で3ヶ月ほど病床にありました。

 この期間は、茂吉先生自身の日記等の記録が残されておらず、その経過は不詳の点が多くありました。看護婦・板垣チヨヱに茂吉先生が口述筆記させた日誌が「齋藤先生病床日誌」で、これにより茂吉先生の病床期の経過がはっきりわかるようになりました。

 茂吉先生が病気から回復し、短歌創作に取り組むようになったのは夏も盛りの頃で、9月と10月には静養に出かけており、同年12月7日に快気祝いをしています。

 「齋藤先生病床日誌」は、現在翻字・印刷中で、来年1月には発刊の予定です。

  聴禽書屋   乘舩寺の境内にある歌碑

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