六河岸体制による最上船(内陸部の船)と酒田船の上下入会運送の時代
享保8年(1723年)から延享3年(1746年)の約25年間
上郷から上郷船で酒田へ
酒田から酒田船で上郷へ
大石田にあった「川船会所」を横山に移す(享保8年(1723年))
享保8年の舟運改革によって、酒田・大石田・寺津(天童)・本楯(寒河江)の四カ所に「川船会所」を設け、それぞれに代表差配人(頭取)をおくこととした。荷物の運送や川難発生時の事後処理などその責任分担区域を次のとおりに定めた。
酒田川船会所
酒田から清川 間
大石田川船会所
清川から大石田 間
寺津川船会所
大石田から寺津 間
本楯川船会所
本楯から船町と本楯から左沢間
大石田の船持衆が中継権が廃止されたことに憤慨して、一時最上川舟運から撤退し、不協力の態度をとったため、大石田河岸にあった「川船会所」を対岸の横山河岸に移し、舟運の万全を期した(『大石田町誌・資料編』「差配人船会所之事」)。
「川船会所」とは、最上川船差配を請負った差配人が舟運について、荷物の取扱いや船のやりくり、川難事故の処理等の実務を行う民間の事務所のことで、川船会所の責任代表者には、差配人がその任につくのが通例であった。後に設けられる「川船役所」とは違うものである。
各河岸に出張る責任差配人は以下の通り(享保8年当初)
酒田船会所
小暮七左衛門 片桐善左衛門の代理
大石田船会所
村山治右衛門 片桐善左衛門の代理(天童三日町 伊右衛門)
大石田船会所
松田文左衛門(酒田差配人)
横山船会所
大石田河岸と同人(兼帯で行う)
寺津船会所
奥山九郎兵衛 松田文左衛門(酒田差配人)の代理
本楯船会所
井上金右衛門 松田文左衛門(酒田差配人)の代理
船町船会所
酒田差配人1名 片桐善左衛門の代理
各河岸に出張る責任差配人は以下の通り(享保8年当初)
元文5年(1740年)
頭取 小暮七左衛門(漆山村)が一人で兼帯する
荷問屋 (大内)勘蔵・(高橋)善七(仮の荷問屋であったが荷問屋となる)
執筆者 小山 義雄氏
組織名(略称):総務課 総務グループ
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