横山河岸の船数と船持商人
1.船の数
(1)延亨4年(1747年)
山形の船町・天童の寺津・寒河江の本楯・横山の河岸をまとめて上郷の河岸とも言う。
上郷河岸の持ち船はそれぞれ以下の通りである。
これを見ると、大石田の船持は各河岸に船を誂え、舟運に対する強い影響力を持っていたことが分る(二藤部文書『船頭吟味二付、差上候願書」延亨4年(1747年)
(2)寛政3年(1791年)
最上船数110艘4分(但、1艘米250俵積に換算して)その内訳は以下の通り
横山船世話役惣代 (大内)勘次郎
「最上船数ノ儀、往古ハ260余艘ト申シ伝ヘ候」
(『大石田町誌・資料編』「御尋ニ付乍恐以書付奉申上候」)
内陸部の船数は著しく減少し、年貢米の江戸廻米にも支障をきたすようになる。民間の運営には委ねられないという状況に陥る。そこで、翌年の寛永4年、幕府は直接運営に乗り出し、舟運経営の建て直しを図るべく改善に乗り出すことになる。
2.船持の商人
横山河岸に所属している船持商人を下記の資料で見ると、以下の通りである。
執筆者 小山 義雄氏
組織名(略称):総務課 総務グループ
住所:〒999-4112 山形県北村山郡大石田町緑町1番地
電話番号:0237-35-2111
FAX番号:0237-35-2118
リンク(1):mailto:somu@town.oishida.yamagata.jp