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おおいしだものがたり 第百二十六話 「最上川舟運の話」 その40.幕府の直差配の舟運

大石田川船方役所の設置の意味するもの

 寛政2年(1790年)、最上船持・船頭が川船差配役の不正や舟運秩序の乱れ、競争入札制度の欠陥を指摘し、その改善策として、寛政3年「幕府の直接差配制度」へ切替えるべきとの要求へ発展した。その要求が実現し、寛政4年8月、幕府直属の尾花沢代官が支配する「川船方役所」が大石田に設置された。

  1. 川船方役所の設置は、中継河岸としての大石田の役割を再び取り戻したこと。享保7(1722年)年以前は、大石田河岸は最上川舟運の中継港として付与された権利を活用し全盛の時期にあった。それが、享保8年の改革によって中継権が取上げられ、上下荷物とも大石田河岸の自由通過となった。そのため大石田河岸は徐々に衰える運命にさらされた。川船方役所の設置によって、川船通過の関門として、荷物の検査・税金の徴収などかつてのような中継の役割を得たことになり、大石田河岸発展に寄与した。
  2. 競争入札によって川船を差配してきた旧特権商人層の排斥を図ったこと。幕府の直差配となっても代官・下役人がすべて川船の差配を果たすことは出来ない。そこで最上船持の中から総代を選び、幕府と船持との相互調整を図りながらその機能を果たした。その機能を果たす事務所が「船方会所」である。新たに選出された総代(初代総代は大石田本町の荷宿安太郎)は、これまで旧特権商人層による独善的に行われたいた川船差配を排斥し、最上船持により密着し、運送の秩序を回復された。

(『最上川と舟運』所収「幕府直営大石田川船役所の設置とその背景」)


大石田で亡くなった 川船方役所役人 秋葉兵太夫(尾花沢代官所代官竹垣善佐手代、文政13年没 乗船寺)

執筆者 小山 義雄氏

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