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おおいしだものがたり 第百三十七話 「最上川舟運の話」 その51.最上川と観光(2)

大正から昭和の「舟遊び」

 大正10年(1921年)ごろ、最上川舟遊び用の遊覧船として「皐月丸」が建造され、就航した。舟遊びを大いに楽しめるようにと、川舟としては豪華に仕立てられたものであった。また、芸者も乗船させ、舟下りを楽しみながら酒肴に舌づつみを打つという趣向をこらした経営であったが、永続きせず、大正14年(1925年)ごろ廃業した。
 ひき続いて、昭和2年(1927年)ごろ、二艘の舟を横並びに連結して板敷きをしき座敷をつくり、楯岡から芸者を呼び、酒宴を催すという贅沢な舟遊びを営業した。しかしこれも永続きはしなかった。
 昭和34年(1959年)、虹ヶ丘から大浦間の新観光ルートの最上川舟下りを開始した。町商工会を中心に、最上川観光ルート資源開発調査の結果に基づいて行われた事業ではあったがこれもごく短期間で終ってしまった。
(『写真でみる大石田のあゆみ』)

平成の「最上川紅花ライン舟下り」

 平成7年(1995年)2月、株主が大石田町と町内外の企業、それに個人12名の出資による第三セクター方式の最上川舟下り株式会社を設立し、観光事業に乗り出した。資本金6,300万円、代表取締役に冨樫啓一氏、取締役として柿崎力氏外6名をもって事業経営に臨んだ。

 大石田の乗船場及び毒沢地内の着船場の使用許可を得ると共に、大掛りな整備を図った。第1便は平成7年11月1日に就航した。11月は運行回数11回、乗船客数221名、12月は4回の62名とまずまずのスタートをきって初年度は終った。
 遊覧の部としての来迎寺と川前間コースは、往時江戸時代に行われた「最上川舟遊び」にも通じたもので、大石田の特性を生かそうとしたものであった。舟運の隆盛時代に思いを馳せながら好評のうちにスタートしたが、その後乗船客数が思うように伸びず、徐々に衰微の兆しが現れ、一時営業を中止せざるを得ない状況に追い込まれた。
 しばらく間をおいて、新たな改革案に基づき、人心一新を図りながら再出発する。新社長に渋谷耕治氏を迎え、町内外から出資者を募り、再出発した。しかし、これも思いに任せず平成16年頃には営業中止のやむなきに至った。
(資料提供 町役場産業振興課)

おわり


最上川舟下りのポスター

執筆者 小山 義雄氏

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