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おおいしだものがたり 第百五十九話 惣町(そうまち)大石田14

惣町大石田

8.雪と飢饉(ききん)

(2)飢饉(ききん)3

 閏(うるう)正月1日には、密造酒が出回っているというので入り札箱を回した。
 箱を開けてみると、入り札総数170枚、その内密造酒造った人の名前はなんと42名と多く挙がった。あまりに多いのに困ってしまったが、22日にそれらの人々を集め、今後造らないという請印を取った。
 さて、このような飢饉に対して、どのような対策が講じられたのであろうか。第1は幕府の役所にお願いをして食糧としての米を借りること。第2は裕福な人から米を借りること。第3には市価より安い値段で売ってもらうこと。そして第4には極貧困窮の人々には粥などの炊きだしに頼ることである。
 食料としての米を、当時は夫食米(ふじきまい)といった。天明4年に尾花沢役所への2度目の夫食借米願書では、四日町の場合約4両を借りている。ただし男は2合、女は1合の割合である。なお、幕府領は、大石田村・本町・四日町の3村で、柏倉付大石田村(現在の甲番地)は私領なので含まれていない。
 この金はもらうのでなく、借りるのであり、5カ年で返済することとし、1両につき1石5斗と計算している。このときの利子は分からないが、この時代は通常5割・6割の利息で貸し与えている。
 4月17日、御普請役の山田弥太郎が大石田を通ったとき、当村の飢人数をたずねられた。3カ村の人数は1,445人の内、飢人の数は男436人、女627人で合計1,063人であるから、73.6%である。特に大石田の場合は、田畑のもたない人が他村より多く、彼らは舟稼ぎをしていたが、飢饉のため舟荷物の輸送が減って仕事がないためであるといっている。
 7月20日、去年の冬から今日まで村の困窮人への施行米の報告をしている。施行米とは、米を安く売ったり、粥などにして飢人に施したりすることらしい。

 これらの人々は「身元相応の者」とか「重立衆」とかいわれている。
 これらのなかで土屋作兵衛は最も多くの施行米を出しているが、ほかに尾花沢役所より郡中夫食御用米を購入するための資金の借用を願われている。作兵衛は108両、兵右衛門83両などである。作兵衛が飢饉のために出した金は108両、米35俵程である。
(次回に続く)

執筆者 清水 助太郎氏

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