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おおいしだものがたり 第百七十五話 河岸のまち大石田(下)

 大石田を巡る複雑な所領の変遷は、大石田は最上川舟運に大切な河岸であることが要因であることは、いうまでもないが、最上藩の改易、そして最上藩のあとに山形に入部した鳥居家が後継者がないため間もなく断絶ということになった。そして、そのあとは、次々に山形藩主の交替が頻繁であったことが、大きく影響していることは、冒頭でもふれたが、この事態の引き金になっていることは否めない。
 歴史に「もし」ということはないが、最上義光が、出羽一国の経綸の軸に最上川舟運を企図していたことは明らかで、それが出羽の国経営に実現していたならば、この国の発展はどうであったろうか。大石田河岸はどのように発展していただろうか。それを今日、眼前に出来ないことを残念に思うのである。
  次に4つの村に分轄された大石田は、日常活動にも何かと不便なことが多かった。それで当時の大石田の人たちは、惣町運営という独自の自治組織を生みだし、大石田の運営に支障が生じないように努めたのであった。ここにその大要を述べることにする。
 大石田の惣町は自治組織で「町方」といい、行政上の「村」を「村方」、大石田河岸舟運上の組織を「舟方」といって、夫々独自の財政と機能を持って活動している。しかし大石田が保たれてきたことには、大石田独特の「惣町」という「町方」の存在が大きく預かっていたのである。
 惣町つまり「町方」の運営は、各村より、名主・組頭など1名づつ2名、4ヶ村合計8名がでて、その合議により行われるようにしていて、初めは、適宜開催されていたようであるが、明和7年(1770年)のころ「月並寄合」と称して、年8回の定例会を開くなど定めている。このようにして大石田4ヶ村に、不都合や不便がないように、起こらないようにしてきたのである。
 その「町方」は、どのような業務を行っていたか、主なものを列挙すれば(注1)

1町方用心取締(治安)

2最上川舟運

3宿駅

4町行事等


(平成17年記)

注1 大石田町史上「大石田惣町の運営と民衆の生活」の項よりそのおおよそを転記

執筆者 歴史民俗資料館 板垣 一雄氏

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