大石田は、山形藩最上氏から鳥居氏領までは一つの村でしたが、寛永13年(1636年)に四日町が、正保元年(1644年)に本町が、寛文8年(1668年)に大石田村(新町)というように大石田の一部が3回分割されたため、元の村と合わせて4つの行政村に分けられました(下記の「大石田河岸の入組支配図」参照)。大石田が分割された理由は、村山郡の所領の複雑さも原因と考えられていますが、何といっても大石田河岸としての重要性を領主側が重視した結果と考えられています(『大石田町史 上巻』401ページから402ページ参照)。
分割にあたっては、幕府と大名の代表者が大石田に集まり、分割する村の石高(村高)に合うように大石田町の大通りや東町等を分割して村人を指定しました。そのため、その村人が持っている土地を、その村の土地として認定されました。このような土地の所有のしかたを「属人主義による認定」といいます。
ところが、明治20年ごろに行われた土地台帳整備(「地押調査」と呼ばれています)の際に、大字大石田が4ヶ村もあることから元の大名領の大石田村を甲番地、元の四日町を乙番地、元の大石田村(新町)が丙番地、元の本町が丁番地として表記されることとなりました(写真参照)。
江戸時代以前の農地の所有形態は、一般に一人の農民が小さな耕地を分散して所有することが多く大石田も同様なため、江戸時代に分割統治された際に、農地の所有者を属人主義で村々の土地を定めた結果、大石田地区の土地の多くが甲乙丙丁入り乱れ、地番にばらつきが生じることになった、といわれています。
(註)
註『大石田町史 上巻』402ページにより引用。
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