1.最上川に河岸(かし)がなかった時代
往古は、最上川には「河岸」(荷物の積み降ろしをする特定の場所)というものはありませんでした。最上川はだれのものでもなく、だれからも制約も受けず、航行の許可承認を得ることもなく、自由に利用航行ができていました。勿論利用料金が徴収されることもありませんでした。
利用する舟についても、何の規制もなく思い思いの舟を造って利用していました。当時の技術からいって小型の舟が主流であったと思われます。無河岸、自由航行の時代が永い間続いていたのです。
2.河岸の始まり
近世、とりわけ江戸時代になると施設・設備を整えた河岸ができてきます。
このように河岸が開かれるということは、最上川の自由な航行に制限が加えられ、組織に則って運行されることを意味します。最上川舟運はやがて強力な支配者の占有物にされ、航行する船には冥加金(みょうがきん・税金)が課せられ、最上川は営業活動の大舞台となります。
3.清水河岸の始まり
清水河岸は、『大石田町誌』資料編所収「二藤部喜一郎家文書」によると、
などと記されています。しかし実際、清水に河岸が開かれたのは、初代満久(山形城主斯波(しば)家の一族)が入部(にゅうぶ)した文明8年(1476年)以降とするのが一般的です。
その後、「城主清水大蔵大輔義親(よしちか)が、自領の産物と飽海や酒田の産物との交易を目的に清水の河岸を整備し、大いに発展させた。」(『最上川と舟運』所収 誉田慶恩「大名領国制と最上川水運」)といいます。清水城主の義親は山形城主最上義光(よしあき)の三男ですが、清水家の養子となり、7代城主となった方です。
このように、最上川舟運が組織的で計画的に運営されるのは、近世以降とりわけ江戸時代が最も隆盛した時代となります。
執筆者 小山 義雄氏
※ひらたは舟編に帯
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