ブックタイトル花蝶風月[大石田町勢要覧]

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概要

花蝶風月[大石田町勢要覧]

おおいしだの道◎訪れた多くの文人墨客歳月を経ても今なお輝く、大石田に魅せられた詠み人たち『おくのほそ細道』の旅で立ち寄り、歓待を受けた俳聖松尾芭蕉。明治26年に、彼の足跡をたどって旅した正岡子規。終戦後の2年間をこの地で過ごした齋藤茂吉。大石田には文人や芸術家に愛される風土があります。の人々と親交を深め、心あたたまています。この間、茂吉は大石田策し、心ゆくまで最上川と対峙しう季節の中で周辺をくまなく散自ら名付けた離れに住まい、移ろで過ごした茂吉は、「聴禽書屋」とした。終戦後の約二年間を大石田の位置を揺るぎないものにしま歌人齋藤茂吉の定住は、大石田ます。流すや最上川」の句が詠まれてい知らずの記』には「ずんずんと夏を泊しています。子規の紀行文『はて道』の足跡をたずねて大石田に一また正岡子規も、『おくのほそしています。のたびの風流ここに至れり」と記文中で、大石田の出来事に関し「こた。後に芭蕉は『おくのほそ道』のから直接俳諧の指導を受けましと髙桑川水は地元の俳人で、芭蕉る歌仙を巻いています。髙野一栄を集めて涼し最上川」を発句とす入れた四人で句会を催し「五月雨は、その間に大庄屋の髙桑川水を髙野一栄宅に三泊した芭蕉と曾良田を訪れています。船問屋を営む道』の旅で、華やいでいた頃の大石曾良を伴って巡った『おくのほそき誇った大石田。松尾芭蕉が門人いを見せただけでなく、文化も咲最上川舟運の要衝として賑わ虹ヶ丘公園にある茂吉の歌碑。「最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片」は町民歌となっている。や自然、風土が息づいています。の感性や創作意欲を刺激する風景このように大石田には、芸術家完)を手がけています。大な連作「最上川シリーズ」(未ルートを描くことを念願した、壮の源流から酒田の河口までの全身の日本画家小松均は、最上川作品を残しました。また大石田出川や大石田の風物など数多くの石田に疎開しながら、四季の最上れています。特に金山平三は、大また多くの画家も大石田を訪き山』に収められています。す。滞在中に作った歌は歌集『白を第二の故郷といわしめていまます。そして、茂吉をして大石田る数々のエピソードも残してい芭蕉は、元禄2年(1689)5月28日(陽暦7月14日)に大石田を訪れている。句会を催すなど当地に3泊したのは、髙野一栄と髙桑川水が、芭蕉が当時めざしていた新しい俳諧にとりわけ熱心だったからと考えられている。10