ブックタイトル花蝶風月[大石田町勢要覧]

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概要

花蝶風月[大石田町勢要覧]

クロスカルチャープラザ展示室舟役所大門や塀蔵な防にある舟運時代のた、最上川右岸特殊堤ぶことができます。ま田の職人の歴史を学げられ、館内では大石正面玄関に鏝絵が掲館」はそのひとつで、チャープラザ「桂桜会ています。クロスカルに伝えていこうとしな花嫁衣装や人形飾りとともにる風景、建物などを大切にし、後世たらされ、旧家にはいまでも豪華かな職人文化や歴史の面影を伝え雛や古今雛など優雅な雛人形がも大石田町では、舟運が育んだ豊からは生活必需品に混じって享保多く施されています。散地としても賑わいました。京都内では最上川流域の土蔵に鏝絵が上方や酒田から仕入れた荷物の集様を描いた漆喰飾りのことで、県の産物の集荷地であるとともに、白壁や商家の戸袋に家紋や吉祥模した。大石田河岸は、上方市場向け鏝絵とは、左官道具の鏝で土蔵のの生活必需品が多数を占めていま特の職人技術に鏝絵があります。は、綿・木綿・呉服・砂糖・塩・茶など舟運時代から継承されてきた独酒田を経て内陸に運ばれたもの人文化も隆盛を極めました。ばれました。逆に、京都や大坂から余を数え、河岸の繁栄とともに職豆・紅花・青苧など内陸の産物が運る鍛冶屋、桶屋、染屋などは五十戸貢米が最も多く、米のほか大豆・小でも、舟大工、大工、左官、舟具を作最上川を舟で下った物資は、年人の町でもありました。明治初期とになります。大石田はまた、舟運に関わる職河岸と酒田を中心に運営されるこる所以となっています。ました。以降、最上川舟運は大石田おり、「ひいなの隠れ里」といわれら、荷宿が多数集積し、最も発展し行事が今でも毎年四月に行われていったん大石田で保管することか貴重なお雛様を公開する「お雛見」からの荷物は陸送が多く、荷物を数多く残されています。そうした大石田河岸絵図(町指定有形文化財)江戸後期の栄華を物語る河岸絵図。多くの物資が往来できるように大通りを最上川の流れに沿って東西に貫いて設け、それにより町並みを南側(最上川側)と北側(陸側)に分れている。続けます。久の流れとともに、未来へと歩みんできた大石田町。これからも悠最上川とともに、長い歴史を歩をしのばせています。どが、江戸時代の大石田河岸風景5大石田町勢要覧