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おおいしだものがたり 第一話 雛のまち・大石田

更新日:2016年3月25日

大石田のお雛さまと雛祭り

 大石田では古くから雛まつりが行われていました。当時のにぎわいを今に伝える絵画として、洋画家金山平三画伯の油絵「雛まつり」(右図参照)があります。この絵からもわかることですが、大石田のお雛見は、外にあまり例のない行事で、この日ばかりは老若男女身分や立場にかかわりなく、誰でも飾られた旧家の土間から拝見してまわる行事でした。
 また、大石田のお雛さまは、「享保雛」(※1)と「古今雛」(※2)の2種類あり、特徴的な残り方をしていることが、雛人形研究家藤田順子先生の雛人形調査によってわかりました。それは、大石田の歴史の流れと雛人形の古さがピッタリ一致していたからです。
 「享保雛」は、江戸中期の享保年間に代表的に作られたもので、古式のお雛さまです。また、「古今雛」は、今から200年程前の明和年間に作られ始めたお雛さまで、現在の雛人形につながるお雛さまです。当時の大石田は、最上川の舟運で栄えた時期であり、そのころに求められたお雛さまが多かったようです。
 そのことは、単に大石田の人々が豊かで、その家の権威の象徴として求められた、と理解するだけでは不十分で、何よりも大切なことは、この町の人々がお雛さまをお飾りして子や孫の無病息災を深く願っていたということです。
 また、大石田には江戸時代に京都からもたらされた御所人形(※3)や大阪の竹田人形も確認され、珍しいからくり人形もあり、ひな壇を賑やかにしていた様子が偲ばれます。

※1 享保雛
江戸時代の享保年間(1716年から1735年)に、数多く製作された大型で豪華な雛人形。寛永雛から元禄雛を経て大型化した。顔の形は面長で目は細く口を少し開き、全体として能面に似た貴人的な顔立ちの雛である。
※2 古今雛
明和年間(1764年から1772年)のころ、江戸日本橋十間店(じっけんだな)の人形師 原舟月(はらしゅうげつ)が考案した雛人形。この雛は、享保雛にくらべて写実的で、柔和な雰囲気をかもしだしている。現在の内裏雛の原型となった雛のひとつでもある。
※3 御所人形
三頭身の男の子を題材にした人形。京都御所から返礼として贈られた人形であることからこの名がある。稚子の愛らしい表情を取り入れた人形で、日本を代表する人形のひとつとという。
(『人形1・2・3・4』(京都書院刊)より要約)

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