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おおいしだものがたり 第七話 都市計画されたまち大石田 最上義光(もがみよしあき)

更新日:2016年3月25日


大石田河岸絵図(町指定有形文化財)

 河岸絵図によれば、それまでの町並みを、多くの物資が往来できるように大通りを最上川の流れに沿って東西に貫いて設け、それにより町並みを南側(最上川側)と北側(陸側)に分れています。また、中央北側に乗船寺(浄土宗)を配し、大通りと乗船寺から最上川に至る道路とで直交(四辻)し、南北の町並みを東西2つに区分しています。四辻には石橋があり「橋本四辻」と呼ばれ、そこに大石田全体の高札場が置かれ、その脇には「水牢」があったと伝えられ重要な場所でした。町の東端は、朧気川に接し、川を渡り今宿から追分に、そして羽州街道へと連結していました。尾花沢には、東端近くの北側から尾花沢へ通る通称「尾花沢街道」が通り、井出方面には、町の西端から井出へと結ばれています。

 大通りの北側には宗教関係施設が配置され、乗船寺の東側に浄願寺(浄土真宗)、西側には、西光寺が配置され、それぞれ門前に通りが作られました。加えて、修験山伏がおり、東から如意輪観音堂(長学院、喜宝院)、愛宕神社(来迎院)があり、それとは別に西光寺の西側には、最上三十三観音第二十九番札所大石田観音堂(縁起によれば、江戸初期に創建)が配され、大石田の総鎮守と位置づけられました。また、乗船寺の手前には、いつのころか、大きな自然石に「湯殿山」と掘られた石碑が立てられ、この大石が大石田の地名の由来になったともいわれています。

 最上川沿いの川端町から四日町にかけては、護岸築堤がなされ、河岸としての機能を果たせるようになりました。また、大石田全域で間口が狭く、奥行きが長い屋敷地を区画し、水路も整備し、新町地域を新たに町立てして、全域に河岸関係者を集住させたといわれており、最上義光が大石田の町並み整備に果たした役割は、大きかったことが分かります。

(文章 大石田町立歴史民俗資料館)

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