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おおいしだものがたり 第十一話 歌人齋藤茂吉と大石田

更新日:2016年3月25日

3.大石田在住時代の齋藤茂吉

 昭和21年1月30日、茂吉は単身大石田に移り、板垣家子夫宅に2泊しました。そして2月1日に二藤部兵右衛門家の離れに移り、翌年11月3日まで1年9ヵ月間その離れ(茂吉が「聴禽書屋」と命名)に住むことになりました。
  ところが、転居して間もない3月に左湿性肋膜炎にかかり、治癒するまで3ヶ月間病床を余儀なくされました。この時期、敗戦の傷心と、家族と離れひとり辺土に暮らす茂吉の身に襲いかかった大病により、すっかり気力も体力も衰えていきました(その当時の克明な病状紀録が「病床日誌」)。

 5月ごろから快方に向かった茂吉は、6月上旬には最上川に散歩に出かけるまでに治癒し、夏以降は本格的に短歌を創作できるまで回復しました。そして、最上川の周辺を散策し、じっと最上川を見つめる姿が帰京するまであったそうです。大石田在住時代の茂吉短歌は、歌集「白き山」に824首(後に26首が後補され850首)収められています。
 歌集「白き山」は、茂吉歌集17冊の中でも自然詠の傑作が多く、研究者により代表歌集の一つに数えられています。その数ある秀歌の中でも、現在町内に歌碑として建立されている短歌が4首あるので、立碑の年代順に紹介してみましょう。

  • 虹ヶ丘公園歌碑
    最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片 昭和31年2月25日建立
  • 乗船寺境内歌碑
    最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも 昭和48年2月25日建立
  • 大石田町立歴史民族資料館内庭歌碑
    蛍火を一つ見いでいて目守まもりしがいざ帰りなむ老の臥處ふしどに 昭和53年5月1日建立
  • 田沢沼湖畔歌碑
    高原の沼におりたつ鸛こうひとつ山のかげより白雲わきて 昭和57年5月13日建立

 このように、満64歳から65歳にかけて大石田に在住した茂吉は、この町の美しい自然に親しみ、茂吉を敬慕する町民に支えられ、大石田と最上川の自然を歌い上げた秀歌を多数生み出し、晩年の最も輝いた時代と研究者から評価されています。

(文章 大石田町立歴史民俗資料館)

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