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おおいしだものがたり 第百三十一話 「最上川舟運の話」 その45.戊辰戦争と最上川(2)

更新日:2016年3月25日

第一次清川口の合戦

官軍、船乗り労務者に動員をかける

慶応4年4月24日から、清川口の合戦にむけた戦闘行動が開始される。
官軍は大挙して清川口から庄内へ進攻する作戦をたて、兵を清川に終結させる。
それに伴う夫役の拠出命令が下る。次の通りである。

  • 新庄 本合海間の諸荷物運送夫役 170名
  • 本合海 古口 清川間の兵士の搬送(軍船の労務者)
    横山村 33名
    田沢村 10名
    富並村 10名以上 計53名
  • 4月28日から5月7日(10日間) 本合海河岸詰

合戦の勃発に対応するために、船・船頭・水主は常時待機させられた。

第二次清川口の合戦

鎮撫府総督府、横山村やその外の村々から
再び軍船の労務者を徴発する

 明治元年(1868年)9月26日、新政府の樹立に抵抗する庄内軍に対し、薩長を中心とする官軍及びそれに味方する諸藩の兵士が総攻撃を加える。第二次の清川口戦争である。清川口から一気に庄内に攻め込むために、軍船を操作できる船頭や船乗り労務者を出すようにという命令が、下谷地郷の割元庄屋である横山村の寺崎仁右衛門の下に届けられる。官軍側からの至急の通達である。


一、 御軍船水主共 五拾人 内 参拾人 横山村
 拾 人 田沢村
 拾 人 富並村
 右の通り、明朝(26日)まで、清水(大蔵)へ勤めるように命じます。
 九月廿五日 横山村 割元庄屋
 横山村・田沢村・富並村 各庄屋中
(横山村 寺崎仁右衛門家文書「諸邑留書帳」慶応四年)

 舟運に従事して、船の操業に熟達している人々を、俄かに駆り立て、軍務に狩り出うとするのある。船も普通の町船を僅か仕立ての軍用船とし、兵士や物資を輸送に従事させる誠に危険な業務である。この時、横山村やその他の村の水主たちは、古口村において、清川口戦争に向けて、10日間待機させられている。
 この他、下谷地郷の村々に対し、「軍用人足500人」も同時に割り当てられている。
 戊辰戦争に於ける官軍の庄内攻略は、主に水路として最上川、陸路としては六十里街道の両路が頻繁に使われた。


清川橋より上流を望む

執筆者 小山 義雄氏

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