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おおいしだものがたり 第百四十八話 惣町(そうまち)大石田3

更新日:2016年3月25日

惣町大石田

2.火の用心

 (前回の続き)また現在の消防組織と同じように、他村とは協力関係を結んでいた。尾花沢・今宿・横山・深堀・岩ケ袋・黒滝の場合は、惣町役人が村内の人足を連れて出動した。安永2年4月尾花沢村40軒が焼けるという大火があった。このときは惣町役員全員と町中の人々が駆けつけて消火にあたり、次の日も15人の人足をだして後始末の手伝いをした。土生田・本飯田・五十沢の場合は、新町・本町の各名主が20名ずつの人足を連れて出動した。

3.賞罰

 三度も同じ家で火事をおこしたり、火つけなどで火事をおこした場合は「所払い」とした。つまり村からの追放である。貞亨3年4月四日町の富樫長三郎宅の火事があった。原因は下女の火つけである。この罰として銀山上ノ畑から仙台へ追放されている。
 安永4年11月夜、四日町十兵衛から出火、35軒類焼する大火があった。この時楯岡・富並・毒沢・西郷・延沢から人足の手伝いがあった。この火事のどさくさに盗みも多くあって、尾花沢代官所から役人がきて、来迎院で取り調べがおこなわれた。十兵衛の子供が風呂たきのときに飛び火が原因であることがわかり、罰として10日より26日まで西光寺へ入り寺となった。
 昭和7年には新町の久兵衛小屋より出火したが、すぐに消火した。浄願寺の鐘が鳴り、村中さわがせたとして2日間の入り寺となった。自分の不始末による火事の場合の入り寺が一般におこなわれた。また夜回りの勤務の怠慢を理由に罰を受けている。安永4年3月、尾花沢で火事があったが、尾花沢役所より知らせによってはじめて知った。これはその夜の自身番と7・8・9番の拍子木当番が悪いという事で、それらの当番12人が2日間の閉戸となった。閉戸とは家をとざして謹慎をしていることである。
 安永4年惣町では、竜吐水(りゅうどすい)という消化道具を大阪に注文した。これは大きな箱の上に押上ポンプをつけ、水をふきださせる用具である。翌年竜吐水の値段15両1分を四カ村に割りふり、5月には惣町に到着し、早速ためし操作をした。名主の家の前でおこなわれている。保管場所は町の中央の本町名主六右衛門の家とした。翌安永6年2月、四日町長兵衛が火事となったので竜吐水を使用したが、雪が多い上に水が不足したので、消化道具としての働きができなかった。
 また消火に特別の働きをしたものには、褒美が与えられた。安永3年3月に横山の曹源院が火事となり、消火にあたった新町の丁持ち清六と私領大石田村船頭三次・太郎吉の3名が各々酒樽一つずつあたえられている。

4.(1)目明し

 盗みには、土蔵破り・船からのぬき取り、田畑の作物荒らしなどがあった。取り締まりとして町では、目明とか乞食頭(こじきがしら)とかいう名の者へ給銭を与え町で雇っていた。彼らは盗みのあった場合、犯人の捜索にあたった。
 安永2年3月、乗船寺の土蔵に盗賊がおしいり衣類20品・法類1品・銭35文が盗まれた。その頃楯岡村の盗品が延沢村よりあらわれたという。だが、乗船寺の盗品は見つからなかった。
 それから約4ヶ月ほどののち、新庄領小国郷に手がかりがあるというので、尾花沢代官所から添書きをもらって組頭三太郎と、新町清五郎をともなって新庄に行くことになったが、小国郷代官井上曽之右衛殿が来町し、新町名主庄兵衛・組頭三太郎と内々相談した。その結果盗品は金銭で弁償することとなり、この件をかたづけた。(次回につづく)

執筆者 清水 助太郎氏

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