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おおいしだものがたり 第三十三話 黒滝向川寺裏山の石造文化財について

更新日:2016年3月25日

 黒滝向川寺裏山一帯には、38基の石仏や記念碑等の石造文化財(以下「石仏等」)があります。これらの石仏等は、ほとんど江戸時代に建てられたものです。石仏等を分けてみると、西国三十三観音像(33基)、釈迦牟尼仏(1基)、奪衣婆(1基)、向川寺開基者供養碑(1基)、※1祥がく大和尚塔(1基)地蔵碑(1基)です。
 町内の石仏等は、大石田町郷土研究会の調査で198基確認されていますが、向川寺裏山一帯だけで町内全域の約4分の1が集中しており、江戸時代に向川寺が信仰上の大きな拠点だったことが理解されます。

1.西国三十三観音像(釈迦牟尼仏含む)

 幕末嘉永5年(1852年)に向川寺三十六世※1祥がく大和尚の代に建立された西国三十三観音の石像です。町内では、このような大規模な石仏群は他に例がなく貴重です。石仏1基ごとに施主(石仏の寄進者)の名が刻まれており、地域別では大石田地区が20人、亀井田地区が2人、横山地区が4人と圧倒的に大石田地区が多く、特に本町が11人を数え、町外の寄進者は尾花沢村が1人、金山町が1人、戸沢村が1人、漆山村が2人、不詳2人となっています。
 また、「天狗の相撲取場」と呼ばれている裏山で一番大きな広場の中心に釈迦牟尼仏があります。その台座に西国三十三観音像の発願者及び世話人等が記されています。

2.奪衣婆

 「脱衣婆」ともいい、三途の川の岸にいて、亡者の衣類をはぎ取るといわれる老女の鬼の姿の像で、建立者・建立年代とも明らかではありません。向川寺左側の小楯にある金比羅神社裏側やや上がった所に位置するこの像の存在により、黒滝山一帯が「山中他界感」(死者の霊が山中を上り成仏するという日本古来からの考え)という古い信仰に関わった霊地であった可能性があり、天狗伝説とともに向川寺開山以前にこの地が古くから霊地として存在していたことを推測できる手がかりとなる貴重な石仏です。

3.向川寺開基者供養碑

 正面に「開基 黒山濺瀧大居士」とあり、西国三十三観音像建立の翌年にあたる嘉永6年猛春(1月)に建立された向川寺の開基者の供養碑です。碑陰の供養文によれば、開基者は当時の黒滝の楯主であること、開基者の氏名は不詳であること、開基者が向川寺の境内及び裏山一帯の山林を寄付したこと等が記され、開基者に関する唯一の伝えとなっており、貴重な石碑です。

※1 祥鸞大和尚

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