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おおいしだものがたり 第三十六話 川船300艘を有した大石田

更新日:2016年3月25日

1.川村瑞賢の来町

 今から330年ほど前の寛文12年(1672年)、川村瑞賢(ずいけん)の来町により、大石田が最上川舟運の重要な拠点「大石田河岸(かし)」として位置づけられ、船着場として大きな発展を遂げることを約束された町であることを、平成12年10月号で紹介しました。

2.最上川舟運の発達

 瑞賀来町から元禄期にかけて、最上川舟運は著しい発達を見せました。そのころ、酒田から最上川上流間を往復するひらた船は酒田と大石田船が完全に独占していました。しかも酒田から大石田間の上り荷物は酒田船、下り荷物は大石田船が運送し、帰り船には荷物を積まないという「片運送」の協定がありました。
 酒田から大石田、そして山形などの上郷へと運送する荷物は、すべて大石田でいったん中揚げし、上郷へと積替えされて運送していました。その区間を往復する船は、すべて大石田船でした(この運送方法を「古法」といいます)。その事情としては、上郷からの荷物は圧倒的に年貢米が多く、上郷商人がまだ十分には発達しておらず、彼らが船持ちになり、そして新たに河岸を設けるはどのカを持っていなかったことが、指摘されています。
 しかも、大石田のすぐ上流には碁点、隼、三ケ瀬の最上川三難所があり、これを乗り切るには、高度な操船技術を持つ「陸艫取(おかともどり)」と呼ばれた水先案内人の乗船が不可欠で、大石田以外の場所では、この仕事ができる人はいませんでした。
 加えて、船主となり得た商人や船頭、「水主(かこ)」と呼ばれる船員たちも大石田とその周辺にたくさんいました。また、船の建造や修理を手がける船大工も大石田に多くいました。こうした船に関する専門家や職業集団が大石出に集住していたため、結果として大石田船が独占することになりました。

3.300艘を数えた大石田の川船

 このようなことから、今年でちょうど300年前の元禄16年(1703年)に、大石田の川船数が300艘以上あったと記録されています。つまり300年前に、最上川舟運のまさに頂点があったことがわかります。

ひらたは舟編に帯

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