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おおいしだものがたり 第五十九話 浄願寺庭園の土屋只狂(しきょう)句碑について

更新日:2016年3月25日

 俳人土屋只狂(しきょう)は、土屋作兵衛と称し、延享元年(1744年)に生まれ、寛政元年(1789年)に没した、江戸中期の大石田を代表する俳人です。

 土屋家は、延沢銀山の山師頭として延沢遠江守光昌に仕えた土屋作之亟を祖とし、その後に初代作兵衛が登場し、3代目に大石田に転居したといわれています。その孫にあたる5代土屋作兵衛が、俳人土屋只狂です。土屋家は、代々商人として栄え、父である4代作兵衛の時代には、酒田三十六人衆の一人尾関又兵衛と商取引を行い、併せて俳諧についても交流が見られました(俳号「居貞」と称し、資料館で現在展示中の「芭蕉点取一軸之写」・「近世俳人貼交屏風」参照)。先月建立した只狂句碑(写真参照)の建立者土屋喬氏・スミ氏は、4代作兵衛の弟「儀兵衛」家の子孫にあたります。

 土屋只狂も豊富な財力に恵まれた豪農で、紅花をはじめ米穀等の取引も行い、新庄藩へ米1,000俵を寄付するなどし、藩から禄高をもらう家柄でした。天明3年(1783年)の大飢饉に際しては、数多くの飢饉救済を行い、それ以前に宝暦5年(1755年)の大飢饉の際も飢饉救済を行っており、それらのことから、安永9年(1780年)に幕府から苗字帯刀を許されています。そして、俳諧に心を寄せ、自ら俳諧結社「暁花園社中」を主催し、大いに大石田に俳諧の隆盛を見ることに貢献しました。特に、芭蕉直筆の歌仙「さみだれを」を買い戻し、それを記念して西光寺境内の「すずし塚」句碑を建立し、俳書「もがみ川集」を発刊しました。

 今回の句碑は、土屋喬氏が所蔵する只狂画讃「夜着重し 桜や咲ん 夜の雨」(写真参照)を刻み、浄願寺庭園に建立したものです。西光寺にある「暁花園」碑の裏側に刻まれた「夜着重し 桜や咲ん 雨の音」の元句にあたります。はじめ「夜の雨」としていた下の句を「雨の音」に推敲したということがわかるとともに、最初の句も作品として土屋只狂が認めていたことがわかります。そして、「もがみ川集」には、推敲後の作品が収められ、只狂没後七回忌の寛政7年(1795年)に梓行した大石田社中編「追善塚之花」に秋風亭叢也(浄願寺十世覚善)が「追福」として述べている中に「夜着重し」の句について「(前略)是そ辞世の記念にやあらんと其時社中の衆議より碑の裏に書つけて一樹を植添え(後略)」と「暁花園」碑の裏側に刻まれた事情を明らかにしています。


土屋只狂自画讃「夜着重し」

右側 土屋 喬氏
左側 土屋 スミ氏
(平成17年6月4日)

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