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おおいしだものがたり 第六十五話 町内から発見されたと伝えられるヒスイ製の大珠について

更新日:2016年3月25日

 『山形県史 資料篇11 考古資料』のカラーグラビアに、大石田町から出土したと伝えられる「硬玉製の大珠」3点が掲載されています(写真参照)。「硬玉製の大珠」とは、ヒスイ製の大珠のことで、出土地は、「北村山郡大石田町横山今宿」とあり、横山地内に今宿はなく、はっきりしていません。所蔵者は、3点ともばらばらで、内1点は鶴岡市の財団法人致道博物館、1点は真室川町の正源寺、1点は個人蔵となっていますが、個人蔵の1点は所在不明となっています。

 現存する「硬玉製の大珠」について、致道博物館学芸部長酒井英一氏によると、致道博物館では伝来経過は記録がないため不明であるものの、当時の担当者からは真室川町の正源寺から寄贈されて致道博物館蔵となったとのことです。つまり、この資料は大石田町内で出土し、真室川町の正源寺で所蔵され、1点が致道博物館に寄贈されて現在に至ったと考えられています(酒井英一氏「致道博物館所蔵のヒスイ製大珠」、『玉文化 第2号』所収、ここでは資料引用はすべてこれによる)。

 ヒスイ製の大珠は、縄文時代のもので、形態区分では「定形鰹節形」であり、大きさは、長さ14.3センチメートル、幅4.3センチメートル、厚さ3.2センチメートル、重さ367.02グラムで、上下はやや尖っています。孔は、中ほどやや上部に一つ見られ、その右下に孔をあけようとした跡も見られます。加工は、一般にヒスイの原産地付近で行われたと考えられています。色調は、「明緑灰色」で、処々に明緑色が見られ、貫入等には、黒褐色の汚れが細かく付着しているとのことです。

 この鰹節形の大珠の大きさは、全国で6番目にあたるものとされており、原産地から大石田までどのような経路で伝えられたものかも含めて、注目される考古資料といえます。

 ところで、出土の場所や時期、その後の経緯については一切不明です。3点とも同一の場所から出土したかも確定されていませんが、町内出土であることは『山形県史』の記述からも間違いないようです。しかし、出土地が「北村山郡大石田町横山今宿」とあり、横山と今宿の両地名があり、横山地区では、縄文時代の遺跡としては、来迎寺遺跡、黒滝遺跡、玉ノ木平遺跡群、三ノ又遺跡群などがあります。今宿地区は最上川を挟んで来迎寺遺跡の対岸に位置し、善翁寺裏遺跡、今宿遺跡、今宿AからD遺跡があります。出土地の可能性としては、横山地区では来迎寺遺跡、今宿地区では善翁寺裏遺跡が遺跡の時代や広さ、出土遺物の量など、拠点的な集落跡とみられています。

 出土した時期については、明治34年(1901年)の官有鉄道奥羽南線線路敷設時や戦後の開拓時などが想定されていますが、昭和44年に真室川町の正源寺が発行した書籍に写真入りで紹介されていることを考えると、昭和40年代以前に出土したと考えられます。

 今回、ヒスイ製の大珠の記事を紹介しましたが、この資料がいつ、どこで、だれが発見したかについては、何一つわかっていないので、それに関する情報をお持ちの方はぜひ資料館までお知らせいただければ幸いです。


『山形県史 資料篇11 考古資料』の中のヒスイ製の大珠

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