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おおいしだものがたり 第九十八話 「最上川舟運の話」 その12.碁点・三ヶ瀬・隼の三難所1

更新日:2016年3月25日

最上川通船と難所

 文久元年(1861年)、大石田船方役所では、川船の通船上危険と思われる難所を40ヵ所指定し、船頭および船乗り衆に特段の注意を喚起しています。(「最上川船方規矩」『大石田町史資料編2』所収)。
 川上から順に記すと以下の通りとなります。下線を付したのは大石田の流域と三難所です。

大桜瀬(左沢村下)・小桜瀬(同)・高瀬(丑前村下)・碁点瀬(貝塩村下)三ヶ瀬(大淀村下)・岩穴瀬(下長崎村表)・やらせ瀬(同村下湊)・鷲ヶ倉瀬(同村下)・隼瀬(隼村上)・天丈くら瀬(同村下)・十尋瀬(大滝村下)・大滝瀬(同村)・赤石瀬(赤石村上)・棚碁瀬(赤石村下)・小菅瀬(小菅村上)来迎寺瀬(来迎寺村表)下瀬(大石田村下)水ヶ瀬(川前村下)白鷺瀬(大浦村下)・どうちん瀬(名木沢村上)・折渡瀬(折渡村上)・烏川瀬(烏川村上)・後川瀬(清水村上)・大巻瀬(向清水村上)・松瀬(同村下)・天狗瀬(作ノ巻村下)・八向瀬(本合海村下)・蔵岡瀬(蔵岡村下)・岩鼻瀬(同村下)・明神トリユ石(真柄村上)・真柄瀬(同村下)・抱石(古口村下)・外川瀬(外川村下)・仙人石(同村)・高屋瀬(高屋村下)・下瀬(清水村下)・長瀬浦(同村下)・浦新田瀬(新田村下)・オコト瀬(オコト村下)・雑候川瀬(同村下) 『以上40箇所』

 これは、山形の船町河岸から酒田湊まで、最上川通りの道のり六十三里半の中での難所を示したもので、「最上川川通絵図」等にも記載されているところです。その中で、難所中の難所とされ、船乗り衆から恐れられていたのが「碁点・三ヶ瀬・隼」の三難所でした。
 幕府直差配(ばくふじきさはい)「大石田川船方役所」の附属機関として設置された「川船会所」(最上川舟運の実務を担当する民間の会所)には、船方惣代と船持衆の中から月番二人が詰めて責任采配をふるっていました。初代の船方惣代には戸田安太郎がなり、寛政4年(1792年)から病死する文化8年(1811年)まで20年間勤めました。
 船方惣代を先頭に船持衆にとって、舟運の難破事故は死活問題あるいは事業の存廃に関わる重大問題に発展しました。
 最上川舟運の三難所における破船事故を、次の資料を参考に拾って見ていきます。
 その結果を年代順に整理したのが、次号に記す内容になります。

参考資料

村山市史資料集(富並村寺崎家文書)・同(土生田古文書)・北村山郡史
大石田町立歴史民俗資料館史料集「9・10」・大石田町誌「資料編」
大石田町史河岸史料集「1・2・3・4」その他

執筆者 小山 義雄氏

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