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大石田町
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おおいしだものがたり 第三十一話 横山にあった新庄藩の陣屋について

更新日:2016年3月25日

1.横山陣屋の設置

 江戸時代、町内の横山と田沢地区の全域が新庄藩の領地で、「下谷地郷」(横山から岩野までの8カ村、9589石余り)に属し、陣屋(新庄藩では代官所のことを陣屋と公称し、また「役屋」とも呼称した)が横山に設けられていました。
 新庄藩は、元和8年(1622年)の入部の際、横山から谷地までの最上川左岸地域約2万石が藩の飛地として幕府から与えられたため、谷地に陣屋を置いて直轄地を管轄するとともに、個々の侍が土地を支配する「地方知行」という制度を実施していました。横山に陣屋が創設された年代ははっきりしませんが、新庄藩が地方知行(横山村15人、田沢村なし)を寛文8年(1668年)に廃止し、領内を統一的に支配するため12郷に分けて代官支配が行われたとされているので、その頃までには横山陣屋が成立したと考えられています。
 横山陣屋は、それから210年以上、下谷地郷の代官所として機能し、明治5年(1872年)1月20日に廃藩となり山形県に移管されるまで存在しました。今年は横山陣屋が廃止されてちょうど130年になります。

2.横山陣屋の位置と建物

 横山陣屋は、現在のみちのく村山農業協同組合横山準低温倉庫のあたりに位置し、建物としては陣屋(代官役所)と手代長屋(代官下役の詰所)、高札場(高札や御触書等の掲示場所)があり、周囲を塀で囲まれ、正面に門がありました。
 横山陣屋は、谷地の北口陣屋等とともに明治5年9月に払い下げられることになり、当時の払下入札通知の記録が残っていますが、手代長屋は、元の横山村役場や横山小学校の施設として活用され、昭和38年(1963年)6月に解体されました。

3.横山に派遣された代官(下谷地郷代官)

 現在まで分かっている下谷地郷代官は最古の田口九左衛門から最後の田口赳太郎まで45人確認され、禄高は100石以下の中士。横山から転任した中では、郡奉行に隠明寺義兵衛や門屋永蔵、勘定頭に下田尉作や唐牛茂吉が抜擢されたようです。
 また、江口理左衛門は、安永7年(1778年)陣屋敷地内に「下谷地郷総鎮守」として山城国稲荷本社から御神体をいただき、稲荷神社を建立しています。

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