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おおいしだものがたり 第百六十六話 惣町(そうまち)大石田21

更新日:2016年3月25日

惣町大石田

10(2)町目録と遊行上人

 文化11年役所から朱印状が届く。諸大名の大名行列は御定賃銭によるが、朱印状は幕府の指示・命令によるようなものである。大石田の西光寺は時宗という宗派に属し、時宗総本山の遊行上人が西光寺に宿泊するという朱印状である。楯岡1泊、翌日から2日間宿泊するというのである。
 朱印状には馬200疋、人足200人の動員であり、大名以上の対応である。開祖一遍は念仏を奨励するのに一生旅をし、一人の弟子も持たず寺も造らず多くの庶民から生仏いきぼとけとして尊敬を集めた。滞在中も近郷の多くの人々の参詣人があったといわれている。
 時代をさかのぼるが室町時代に銀閣寺を造った将軍義政や当時の貴族たちが庭を競って造った。その庭師たちの名に「阿弥あみ」がつけられており、能の作者・役者なども時宗の僧であった。阿弥をつけると、将軍とも対等の話し合いができ、造園造りの相談などしていたといわれる。
 江戸時代になってからも、幕府では特別の対応をしたことがわかる。この時の支出入経費は不明であるが、文化8・9年の佐竹候の場合は約170人であるから遊行上人の場合も、その程度の経費と考えられる。これらも町目録に記録されてよいのであろうが、佐竹候の場合「御通行諸入用村割写」に記録されている。つまり多くの経費支出入の場合は、町目録でなく別帳簿にして記載されたのではなかろうか。普通の大名の場合は町目録に記載することとしている。
 さて、町目録であるが導者収益減少にともない、導者目録から町目録に支出項目の一部が移されている。文政4年番屋修理代、文化12年には寺社勧化などである。やがて天保年間(年号不明)には導者目録がなくなり、2帳簿から町目録帳簿の1冊となるのである。
 最後になるが各村ごとの「村入用書上帳」を述べたい。これは前年度1年間の一切の村入用支出額を書き上げて宗門帳・五人組帳と共に3月10日まで役所に提出することとなっていた。次のものは安政6年四日町村のものであり、収入項目はなく支出項目のみである。

一、永32文5分 江戸までの旅費
一、永1〆487文 大名通行経費
一、永3〆31文1分御陣屋修理代
一、永778文8分 筆取給
一、1〆20文8分御陣屋給金
一、永848文5分 郷倉守
一、永1〆20文8分御陣屋勤給金
一、米1石8斗5升 組頭給
一、永987文1分 郷倉にて

(以下3項目と合計額は略)
以上で惣町運営は終わる。

執筆者 清水 助太郎氏

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〒999-4112 山形県北村山郡大石田町緑町1番地
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