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大石田町
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大石田町新町発足四十五周年記念特別寄稿「茂吉と大石田」2

更新日:2016年3月25日

 茂吉の心は千々に乱れ、かたときも落ち着くことがなかった。茂吉の心配の中心は申告を東京でまとめてやるか、東京と大石田で別々でやるかという点だった。所轄の楯岡税務署でも裁定を下しかねた点もあって茂吉の苦悩はいや増すばかりだった。我々は東京で申告することに決めた。税額の通知が来てみると、到底現金が足りないので、物納を増やして貰う交渉をした。母も私も毎日のように銀行巡りをして現金の工面をし、そのやりくりは三月半ばに終り、茂吉を悩ませた「財申告」はひとまず終りを告げたかにみえた。ところが騒ぎはまだ終らなかった。三月末の私の日記にこう書いてある。「本日税務署より呼出しありて母行く。山形申告と食い違いありて税額60万円を突破し、第一封鎖でも足りず新円で収めねばならぬ。いよいよビンボーとなる。」

 ところが二年後にまた騒ぎが起こった。税務署からいきなり三十二万払えと言ってきたのだ。妻がかけつけると、何とそれは先方の計算違いからで、三十二万少なく計算したから延滞金も含めて追加せよという話だ。妻はさんざん粘ったが結局こちらの敗北に終った。このことは父を心配させないように内容の報告は差し控えていたが、父が当事者だったら恐らく脳溢血症は起していたに違いない。

 大石田から上京するときに、何が一番お楽しみですかときいたとしたら父は即座に、孫に会うことだよ、と答えたであろう。

 父は手紙のたびに、美智子へ、妊娠はまだか、小生も老いたから早く孫の顔もみたいのであると、脅迫的な便りをよこしている。

 その孫は昭和二十一年四月二十八日に誕生した。父は「祖父茂吉大よろこび、病気も痊る」という手紙をよこした。

 昭和二十二年十一月四日に、漸く手に入れた世田谷代田の家に帰ってきた。大石田の板垣家子夫さんが送って来られた。父は日記にこう書いている。「茂一(孫の名)ハハジメ変ナ顔ヲシテヰタガ、抱カルルヤウニナリ、一シヨニ食ベ物ヲ食ベサセタ」

聴禽書屋(ちょうきんしょおく)画像

聴禽書屋(ちょうきんしょおく)
 茂吉が昭和21年1月30日から翌年11月3日まで独居しました。二藤部家のもと離れで、「聴禽書屋」という名は、庭内の木立を鳴きわたる小鳥の声に因み、茂吉自らが命名しました。
 なお、食事等の世話は二藤部夫人と同家の使用人、雑事一切の世話は門人板垣家子夫が務めました。

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電話:0237-35-2111 ファックス:0237-35-2118

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