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おおいしだものがたり 第百三十九話 へぐりの道(下)

更新日:2016年3月25日

4 昭和12年 奥羽本線との立体交叉 「図4」

 そこで県は地域の要望に答え、昭和9年(1934年)に「へぐりの道」山形側トンネルの出入り口の上を通るように、つまり鉄道と道路が立体交叉するよう「へぐりの道」改修工事を起工した。
 道路改修に際しては、県議会議員渡邊喜助が祖父の志を継いで率先して用地代償の資を出すなど、大いに貢献したのであった。そして工事は昭和12年(1937年)8月に完成した。完工後間もない10月には工事に貢献した渡邊喜助を讃え、官民挙げて努め完成した記念にと「へぐり」の景勝の地に「遍ぐ里道改修記念碑」を建立した。
 この碑は、その後へぐり道改修の際に再度にわたり移され、今はへぐりの突端を追分の方に回り最上川を臨むことが難しい山裾の凹地にひっそり建っている。
(注 冒頭の「きりとほしたる白埴の山」は、この時期の「へぐり」を詠んでいる。)


「図4」

5 昭和50年 新トンネルの開通 「図5」

 昭和42年(1967年)に羽越水害があり最上川の大洪水があったが、そのとき鉄道のトンネル山形方面出入り口のところの小流に架橋されていた鉄橋が、増水した流れに没し、列車の運行を阻むということが起こった。それで、昭和48年より着工された奥羽本線電化工事の時に、鉄道の位置を一段高いところを通すようにしたが、それに伴いトンネルの位置も高く新たに設けることになった。言うまでもなく、「へぐりの道」もそれまでよりさらに高いところを通るように、虹ヶ丘の山腹を削り広い道として整備された。そして、この新トンネルの開通に伴い旧トンネルとこれに出入りする線路は昭和50年(1975年)10月13日に廃止された。
 その後、「へぐりの道」は平成6年(1994年)に地すべりによる崖崩の時に改修整備されたが、最近も更に崖面や路線の改修などが行われ、整備されて現在に至っている。
 「へぐりの道」は江戸時代の道から今日の道まで幾度の改修整備が行われてきた。そしてこれまでも多くの人々がここで最上川の流れに出会い、感動を覚えたことだろう。「へぐり」は大いなる自然の風光に心身を置き、新たな息吹を覚えるところである。
 近年にも、明治の代には関山峠越えをして楯岡に一泊した正岡子規が、真夏の日差しの中を追分より大石田に入るとき、ここで最上川に初めて出会ったところ、昭和の代に齋藤茂吉がこの道を歩み、南より流れてくる最上川がこの丘陵(虹ヶ丘)に突き当たって屈折し、大きく流れを変えていく、その突端に立ち作歌したところ、小松均がこの道で心血を注いだ最上川連作中での代表的大作である「雪の最上川」を、更に「春の最上川」を写生したところというように、文人・画人の心を止めた道である。


「図5」

図記号説明画像

執筆者 歴史民俗資料館 板垣氏

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