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おおいしだものがたり 第百三十三話 「最上川舟運の話」 その47.明治初期の舟運(2)

更新日:2016年3月25日

陸路の改修・海路の整備に伴って、最上川輸送ルートに変化が現れる

 山形県の最上・村山・置賜など内陸部と江戸・大坂・京など上方を結ぶ輸送ルートは最上川舟運の西廻り航路が唯一であった。しかし、道路改修の進行や太平洋沿岸航海路の整備の進捗によって、最上川舟運の機能が次第に変化し、唯一でなくなってきた。

明治2年(1869年)、仙台湾に蒸気船が入港するようになる

 以後、商品の流通経路に逆現象が現われる。かつて、仙台方面から銀山奥の軽井沢峠や関山峠を越してきた荷物は、最上川を下して上方へ運送されていた。それが逆に、内陸部の荷物は海上輸送を求めて仙台方面へ運送されるようになる。
 酒田から最上川を上せた江戸・京・大坂等からの荷物が、逆に仙台方面から陸路、峠を越えて入ってくるようになってきた。そのため、最上川の交通量は、上下共に減少するようになり、船持衆の運輸経営がじりじりと圧迫されるようになる。
「近年、荷不足躰ニナリ、運賃存外値下ガリ」

三島県令、陸上輸送を隆盛させるために、川船運送の重要性を説く

 陸上運送を隆盛させるためには、海軍と共に川船の輸送も大切で、三位一体として開発することの重要性を説き実行に移そうして、下記の「引継ぎ書」を作成している。

  1. 酒田港を改修し、大型の海船が入港できるようにすると共に、上方や北海道との航路を盛んにすること。
  2. 最上川を修繕し、両岸に堤防を築き、酒田 糖ノ目間に川蒸気船を運行させること。川蒸気船の運航記録として、明治22年から陸羽西線の開通まで、清川 大石田間を走った「最進丸」が知られる。しかし、大石田より上流には川蒸気船は実現しなかった。またそれ以後、川蒸気船は姿を消していく。

貨物輸送の「回漕会社」が設立される

 明治12年(1876年)8月、酒田の西野長兵衛外6人や山形の丹野太郎兵衛外3人などが発起人となり、資本金一万円で回漕会社が創立される。
「東村山郡川ノ口ヨリ酒田迄、最上川通船荷物ノ請負候」
事務所 山形市旅篭町
出張所
 酒田上小路 小田友三郎宅
 北村山郡大石田村 草刈繁蔵宅
 東村山郡長崎村 吉蔵宅
(『大石田町史 下巻』の「明治後期の大石田」 「交通・通信の発達」所収)
 この回漕会社の大石田出張所を勤めた草刈繁蔵氏とは、現草刈新聞店当主(二氏)の曽祖父に当たり、最上郡大蔵村清水の旧家皆川家から草刈家に婿入りされた方である。


虹の大橋から下流を望む

執筆者 小山 義雄氏

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