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おおいしだものがたり 第百三十二話 「最上川舟運の話」 その46.明治初期の舟運(1)

更新日:2016年3月25日

明治の新政府が誕生し、新しい舟運政策が実行される

1.年貢の現物納が金納にかわったため、米の最上川下げ荷物が激減した。

 明治4年(1871年)、明治政府は地租改正を行う。旧制度では、生産高を基準にして年貢を課し、米を中心とした現物で税を納める仕組みであった(現物納)。それを地価を課税の基準とし、地価の100分ノ3をもって金納に改めた。即ち、明治6年から、現物納から金納に変わったため、城米・私領米の最上川の川下げが激減した。

2.明治5年(1872年)、最上川舟運の旧制度を廃止した。

(1)ひらた船や小鵜飼船など大小船の使用を自由化した。

 最上川を上り下りした川船には、上流の糖野目・左沢間を通船した小鵜飼船(米30から50俵積)と左沢・酒田間を通船したひらた船(米200から350俵積)とがあった。ひらた船には、城米・私領米の川下げにあたる大船(5人乗・米350俵積)・中船(4人乗・米250俵積)と城米の川下げ期間中、主に三難所や上流で使用する小船(3人乗・米200俵積)の三種類があった。
 小鵜飼船は左沢より上流の最上川、松川や須川などで使われ、左沢下流での運行は禁じられていた。また、左沢下流で使用する運行船は?船であることが決りとなっていた。それが、明治5年の運行船に関する規制を撤廃し、自由化した。
 「最上川通船、従前夫々弊習コレ有リ候処、自今大小ノ舟、何地ヨリモ酒田港迄上下運送指シ許シ候条、ソノ旨洩レ無ク申シ渡スモノ他
 明治五年五月三日 山形県」
 明治7年(1874年)、「山形県一覧表」によると、「ひらた船101艘、小鵜飼船274艘」とある。小鵜飼船がひらた船を大きく上回るようになり、最上川舟運は小鵜飼船の時代に入ったことを示す資料である(『大石田町史 下巻』)。

(2)「大石田川船方役所」を廃止し、船差配や輸送統制などを撤廃した。

 明治5年、旧制度によって、幕府が直接統治してきた「大石田川船方役所」及び、最上川を上下する諸荷物に対する課税の徴収も廃止された。同時に、船方役所と一体となって実務を行ってきた「船会所」も廃止された。さらに、諸藩が所有していた御手船も無くなり、すべて民間の雇い船とした。

3.大石田川船方役所の廃止に代る新しい川船統制は、県庁駅逓掛が行うこととした。

 川船の通行は全く自由ではなく、その統制には川船取締人がこれに当たった。取締には、区域を設け、長瀞村より上流は船持惣代で山形十日町の荒井太四郎、貝塩村より下流は大石田村の西塚与一郎と村岡兵太郎が任命された。明治6年、大石田と寺津に掛官を派遣し、最上川を運行するひらた船・小鵜飼船など大小船の船持を集め、川船認定証である「焼印鑑」を受渡しした。「焼印鑑」のないものは、以後一切通船を禁じられた。


大橋より下流を望む

執筆者 小山 義雄氏

ひらたは舟編に帯

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