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おおいしだものがたり 第百二十四話 「最上川舟運の話」 その38.幕府の直差配と船方役所の配置(6)

更新日:2016年3月25日

幕府直差配の背景

「川船方役所」の建設の資金とその使途

 最上(村山)地域の船持衆の建議を受け入れ、寛政4年(1792年)8月、大石田河岸に川船方役所が設置された。その施設を完成させるのに約1年の歳月を要した。船役所建設に伴う諸経費は、幕府の下賜金と船持全員の負担によって賄われた。

収入 金127両
 内訳 幕府の下賜金 22両 船持衆の拠出金 98両 計127両
 拠出者(清水村から長崎村まで、26か村の惣船持
 計60名(大石田20名・東根6名・横山4名・谷地3名・古口3名・その他)
支出 金126両
 内訳 土地等の購入費 33両 建物等の普請代 32両 その他の諸経費 62両
 (大工682人・左官119人・屋根葺84人・外 畳職人・簾など)

 上記の史料は、寛政12年1月13日、江戸幕府の川船改役より大石田川船方役所に対し、その写を遣わされたものである。当時、船役所の手代として勤めていた神部鉄太郎が、これを写し取ったものである。
(「最上船方差出明細帳 寛政5年」山形大学附属図書館蔵 二藤部文書)

「川船方役所」に舟道安全祈願の守護神「船守稲荷神社」を祀る

 最上川の舟運を司る川船方役所に安全祈願の守り神がないということは、甚だもって不都合であるという意見が持ち上がり、船守神社として祀ることになった。
 嘉永5年(1852年)2月3日、川船方役所の手代を勤める常世田美和助が、舟運守護神の勧請を発願し、時の船方惣代須藤久太郎(本町)にその手配を依頼された。
 久太郎は、山形十日町の藤屋(斎藤文吉神社関係の司)に取り次ぎを依頼した。藤屋は江戸白山吉田殿出張所を経由して、京都の神祇管領「長上家」に願書を出し、その許可を得た。長上家から許可状と守護神「船守稲荷」の御神体が下付され、山形の藤屋に届けられ、さらに大石田の川船役所に持ち越された。
 御神体が到着すると、船方惣代久太郎が世話人となり、神社の社殿建設が始まった。本殿と拝殿は川端の牛吉、鳥居は川端の弥作、石工は境目村の六蔵、屋根葺は新田村の長蔵、左官は川端の重次郎それぞれ担当した。
(『大石田町史上巻』所収、東町の細矢家文書)


大石田河岸絵図(東町所蔵)

執筆者 小山 義雄氏

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