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おおいしだものがたり 第九十九話 「最上川舟運の話」 その13.碁点・三ヶ瀬・隼の三難所2

更新日:2016年3月25日

三難所における破船(はせん)事故 その1

 最上川通り中、数ある難所の中で最も破船事故の発生が多く、船員達に恐れられていた所は、いわゆる三難所でした。以下、資料に現れた破船事故です。

  • 寛延3年(1750年)蟹沢米積船破船 「三ヶ瀬にて」
  • 寛延3年と宝暦元年(1751年)の2年間で酒田問屋船44艘破船 「碁点・隼にて」
    ※村山の荷主・船持など破産者が続出した。
  • 同6年(1756年)から7年 大量の破船(船数不詳) 「三難所にて」
  • 同12年(1762年)から13年 大量の破船(船数不詳) 「三難所にて」
  • 天明3年(1783年)
    早川伊兵衛尾花沢代官所領米250俵積船破船 「碁点にて」
    大石田船 船頭勘三郎
  • 天保14年(1843年) 寺津出し山形城主秋元領米250俵積船破船 「隼にて」
    ※秋元領34ヶ村の共同負担
    代表惣代黒澤村大庄屋渡辺久右衛門
    濡れ米の払い下げ等の世話を大石田蔵元の村岡喜八(本町名主)が引き受ける
  • 弘化3年(1846年) 新庄領上谷地郷収納米250俵積船破船 「隼にて」
    大久保河岸出しの最上船 船頭七治
    内訳 清米(154俵)、半濡れ米(30俵)、皆濡れ米(66俵)
  • 安政5年(1858年) 酒田商人荷物 稲荷儀蔵船が破船 「隼にて」
  • 安政6年(1859年) 酒田商人荷物積 源次郎船が破船 「隼にて」
    (布・古手・茶・砂糖・魚物の損害)
  • 嘉永3年(1850年) 寒河江代官所領廻米 酒田佐吉船が破船 「碁点にて」
    掻き集めた米(懸け揚げ米)20俵
    内訳 下長崎村(4俵)、貝塩村(11俵)、大淀村(3俵)、小滝村(2俵)を拾い上げ、代官に届け出た数
  • 嘉永5年(1852年) 尾花沢附江戸廻米260俵積船破船 「境ノ目下にて」
    境ノ目河岸出し積米 船頭源右衛門船
    内訳 清米(30俵)、半濡れ米(30俵)、皆濡れ米(200俵)

執筆者 小山 義雄氏

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