おおいしだものがたり 第八話 西回り行路の起点・大石田 川村瑞賢父子の来町と西回り航路の整備
更新日:2016年3月25日
1.中継ぎ権 大石田へ移る
最上氏時代の最上川舟運は、酒田から清水(現在の大蔵村清水)までは大舟を用い、清水で中揚し、そこから上流用の小舟に積みかえる「中継ぎ」という制度によりおこなわれていました。
前回紹介したように、今から400年ほど前の慶長年間に、大石田河岸が最上氏によって整備が進み、その役割が高まってくるようになり、慶長19年(1614年)清水家の滅亡により中継ぎ権が大石田に与えられ、清水では運賃の十分の一役銀を徴収することとなりました。これにより、酒田から大石田まで積み替えなしで直接運ばれるようになり、大石田で上流用の小舟に積みかえることとなり、最上川流域の主要河岸としての大石田の役割は、不動のものとなりました。
最上氏の没落後、一時中継ぎ権が清水に戻ったが、長続きはせずふたたび大石田で中継ぎすることとなり、この運送制度は、8代将軍吉宗の享保の改革による中継ぎをせず上郷まで直接川舟が上下する運送制度変更(「中継ぎ運送」から「上下入会運送」へ)まで約100年間続きました。
船中安全と刻まれた灯篭(四日町 西光寺)
2.延沢銀山の繁栄と大石田
江戸初期の大石田河岸を活気づかせたものには、尾花沢の延沢銀山の繁栄による銀山関係物資の移出入があげられます。
当時、銀山人口は少なくとも1万人以上あったと推定されており、しかも莫大な出金・出銀があり、銀山一帯は一大ゴールドラッシュとなっていたと、伝えられています。
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