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大石田町
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おおいしだものがたり 第百十七話 「最上川舟運の話」 その31.横山河岸(5)

更新日:2016年3月25日

横山河岸の船数と船持商人

1.船の数

(1)延亨4年(1747年)

山形の船町・天童の寺津・寒河江の本楯・横山の河岸をまとめて上郷の河岸とも言う。
上郷河岸の持ち船はそれぞれ以下の通りである。

  • 横山河岸船は9艘(横山船7艘+大石田の誂船2艘)
  • 寺津河岸船は34艘(寺津船13艘+大石田の誂船21艘)
  • 本楯河岸船は22艘(本楯船18艘+大石田の誂船4艘)
  • 船町河岸船は10艘(船町船7艘+大石田の誂船3艘)

 これを見ると、大石田の船持は各河岸に船を誂え、舟運に対する強い影響力を持っていたことが分る(二藤部文書『船頭吟味二付、差上候願書」延亨4年(1747年)

(2)寛政3年(1791年)

最上船数110艘4分(但、1艘米250俵積に換算して)その内訳は以下の通り

  • 大石田河岸 48艘8分
  • 本楯河岸 16艘0分
  • 横山河岸 19艘4分
  • 清水河岸 9艘8分
  • 寺津河岸 21艘4分
  • 船町河岸 船無し

横山船世話役惣代 (大内)勘次郎
「最上船数ノ儀、往古ハ260余艘ト申シ伝ヘ候」
(『大石田町誌・資料編』「御尋ニ付乍恐以書付奉申上候」)
 内陸部の船数は著しく減少し、年貢米の江戸廻米にも支障をきたすようになる。民間の運営には委ねられないという状況に陥る。そこで、翌年の寛永4年、幕府は直接運営に乗り出し、舟運経営の建て直しを図るべく改善に乗り出すことになる。

2.船持の商人

横山河岸に所属している船持商人を下記の資料で見ると、以下の通りである。

  • 寛政5年(1793年)(「最上船方差出明細帳」大石田町立歴史民俗資料館史料集九)
    (高橋)善五郎・甚兵衛・藤右衛門・(大内)勘兵衛
  • 文化4年(1807年)(「最上船方諸入用明細書上帳」同史料集十)
    (寺崎)仁右衛門・権八・(高橋)善五郎・五郎七・円助・庄助・太六・亦次郎・左之助・六之助・長治郎
  • 天保2年(1831年)(「最上船株議定」大石田町史史料編2)
    (寺崎)仁右衛門・(高橋)善五郎・又太郎・(横尾)間之助・(二藤部)与次兵衛・五郎七・円助・権八・文吉・七兵衛・田沢村(森)久右衛門・儀兵衛


ヘグリから下流をのぞむ

執筆者 小山 義雄氏

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