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大石田町
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おおいしだものがたり 第百十一話 「最上川舟運の話」 その25.舟運の仕法(やり方)の変遷(5)

更新日:2016年3月22日

(1)寒河江代官所管内の村々60か村の商人たちが「新河岸の設置」を請願する。

幕府、「大石田河岸の中継を廃止すること」を決める。

 寒河江の荷問屋である善蔵を中心とする「新河岸の設置」と「大石田河岸中継の廃止」の願いは受け入れられず、今まで通りという裁許であった。しかし、上郷の商人たちはこれに満足することができず、更に強固に「新河岸の設置」と「大石田河岸中継の廃止」を請願する。享保7年(1722年)、漆山領・寒河江領の村々60か村の百姓・商人の連印をとり、一致結束して、漆山の長谷川庄五郎代官と寒河江の森山勘四郎代官の両代官に追訴に及んだ。両代官はこの案件を江戸幕府の勘定所に取り次いでくれた(『大石田町誌』史料編「新河岸願之事」)。
 「酒田船等の積み荷物、上郷迄積み通し相立願」の請願は江戸幕府において吟味することとなった。翌享保8年、勘定奉行の水野大和守の裁許により「大石田船道御公儀ヨリ御取放ニ相成候」となった。長年続いて来た大石田河岸の中継権は剥奪されることになり、上郷商人たちの願い通り、酒田と上郷間は大石田河岸の中継なく、一貫して通船することが可能となった。(「大石田船道取放之事」同上掲書)。

(2)大石田の河岸商人が逆訴に及ぶ

 上郷のこれらの動きに対し、数年間にわたり江戸へ出願したり、地元代官が交代する度毎に嘆願を繰り返してきた。しかし、いよいよ大石田河岸が不利に至ってきたので、享保8年(1723年)5月、この幕府の裁許を不服として、大石田4カ村の船持・百姓385人を代表して、30人が江戸幕府に出府し「これまで通り大石田中継で、川船差配を請負いたい」として、上郷を相手取り激しく争うことになる。
 大石田河岸の願は、今まで通り中継河岸の存続と独占差配をすることであった。
 「前々ノ通リ、大石田河岸ニテ船差配ヲ致スコト」(「大石田河岸差配願」)
 しかし、その結果は「願ノ筋、御取上ゲ御座ナシ」とその願はかなわず却下された。今後、大石田河岸で働く川舟渡生人の稼業不振を案じて、当分の間、次の恩情措置を付け加えることを約定した。
 「上下荷物ノ三分ノ一ハ大石田河岸ノ差配トスルコト」
 即ち、上下荷物の内、三分の一は今まで通り大石田中継の取扱いとする。残り荷物の三分の二は大石田中継をなくし、直接一貫して通船し、酒田に下したり、上郷に上したりするという案がしめされた。大石田河岸では、この「三分ノ一中継」案に対し、即答をさけ、後日吟味をし、返答する旨を申し上げたところ、幕府から「大石田ノ者共、我侭不届ノ至リ」と厳しく叱責された挙句、大石田河岸中継は完全廃止という沙汰になってしまった。
 大石田としては、全面的な中継河岸と積荷差配権の復活を望んでいたのであったが、ここに夢は完全に絶たれてしまった。


ヘグリから上流を望む

執筆者 小山 義雄氏

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