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おおいしだものがたり 第百十六話 「最上川舟運の話」 その30.横山河岸(4)

更新日:2016年3月25日

天明5年(1768年)から安永7年(1778年)の10年間

横山村の(大内)勘兵衛・甚助親子が最上船の請負差配役となる

 勘兵衛親子が請負入札した金額(幕府へ上納する冥加金)は、年間金202両2分という大金であった。この大金を儲けるために次の二項目の権限が与えられていた。

  1. 勘兵衛親子が請負差配を行う最上船(内陸部の船、上郷船ともいう)の船数は、130余艘で、その各船から差配料を取る権限。
  2. 寺津・本楯・横山の三河岸で取り扱う商荷(商業用荷物)運賃の十分の一の役銭(税金)は、横山船会所で徴収する権限。

 この差配料1.と十分一徴収金2.をもって幕府へ上納する冥加金をまかなった。
(『大石田町史史料集2』「年限請負差配之砌船方仕法」)

船世話役、横山村の勘次郎、寺津村の吉左衛門、楯西村の善蔵、大石田四日町の又左衛門の四人が最上川通船46艘の船持と75人の船頭(21か村)から訴えられる。

 訴えの理由は、寛政2年(1790年)、上記の4人が、川船差配役及び酒田湊船の船持や船頭と結託して、最上川通りの上郷船46艘が川下げすべき商荷を酒田船へ横流しして、半額の運賃で積み下げさせた。本来、上せ荷は上郷船の戻り船に、下し荷は酒田船の戻り船には双方とも積んではならないという片運送のきまりなのに、このきまりを破って以下の不正を働いたという理由によるものである。

  1. 積んではならない酒田の戻り船を利用し、半運賃で荷物を下したこと。
  2. 定め運賃より安く運んだ分の運賃を掠めとり、不正を働いたこと。
  3. その他、船世話役としての勤め方に、不審不正な点が多々あること。

 これらの不正によって、最上川通船90艘余の船持や船頭に多大の困窮を与えたとして訴えられたものである。訴えを起こした総代訴訟人は、
船持代表 大石田町本町 安太郎
船頭代表 大石田町本町 重助
(横山昭男「幕府直営大石田川船役所の設置とその背景」)
 訴訟相手の船世話役、勘次郎、吉左衛門、善蔵、又左衛門はいずれも宝暦10年以降度々川船差配役も勤めた有力商人である。
 横山村の勘兵衛家は、最上川沿い居宅を構え、村きっての船持の有力商人である。また、楯西村の善蔵は手船13艘を所持し、天明7年、米沢藩屋代郷の江戸・大坂廻米を仙台領荒浜河岸(阿武隈川)を変更して、酒田湊出しに港替えをしたときの有力な請負商人であった。
 大石田町四日町の(沼沢)又左衛門は、元禄頃から幕府巡見使及び諸大名の仮本陣となり、大石田問屋総代を勤めた特権的な有力商人であった。


四日町より横山河岸をのぞむ

執筆者 小山 義雄氏

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