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大石田町
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おおいしだものがたり 第五十一話 領民から慕われた名代官・大貫次右衛門と絵馬等について

更新日:2016年3月25日

大貫代官の善政

江戸幕府の代官・大貫次右衛門證は、天保2年(1841年)7月に甲斐国石和代官から尾花沢代官に転任し、尾花沢で病死するまでの14年間、善政をしいた名代官として有名です。

江戸時代の三大飢饉の一つ「天保の大飢饉」に際し、大貫代官は現地に留まり、領民、特に窮民を救助し、田畑の荒廃を防ぎ、翌年には豊作に導いた大恩人として記録されています。また、天保の改革を推進するなど、民政に優れた手腕をふるった名代官でしたが、天保15年(1844年)3月12日に病没しました。

領民たちは、大貫代官の善政を讃え、そして慕い、絵馬や掛軸、石碑に顕彰し、長く伝えようとしました。大石田町登録文化財として登録されている駒籠白山神社の「伝大貫代官絵馬」や次年子の「大貫大明神」掛軸は、まさにそのような例にあたると考えられています。

駒籠白山神社の「伝大貫代官絵馬」(大石田町登録文化財)

 この絵馬は、大貫代官が小姓を従えて手紙(嘆願書か)を前にして、座して考えこんでいる姿を和紙に極めて端麗に描かれ、背景には金箔がちりばめられています。
 この絵馬が大貫代官の肖像であることは、裃にある家紋から推定されており、紋付には徳川家の葵の紋が描かれており、肖像の人物が幕府の役人であることをあらわしています。
 かつて、破損が見られましたが、この絵馬の歴史的意義を重く考えた地区の篤志家の寄付等により平成7年に修復し、現在に至っています。

次年子の「大貫大明神」掛軸(大石田町登録文化財)

次年子の外楯若衆組が所有する掛軸で、形状は、和紙に墨で一行に大きく「大貫大明神」と記されています。
口伝によれば、大貫代官は、天保の大凶作の時に、郷蔵を開いて籾を与えてくれたので次年子では1人の餓死者もでなかったことから、大貫代官に感謝の意を表すためにこの掛軸をかかげ、「堂もり」という行事が行われるようになったといわれています。

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