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おおいしだものがたり 第六十六話 「雪害」と大石田について

更新日:2016年3月25日

 今年は、昨年末以来の豪雪で、さまざまな雪害に見舞われた方も多いと思われます。「雪害」とは、雪のために起こるいろんな形の災害をいい、いわゆる豪雪の害、長期間積雪状態の続く積雪害、雪崩の害は、いずれも雪害です(今回の引用は特に断らない場合にはすべて『山形県大百科事典』及び『雪害問題政治的解決 記念写真帖』による)。

 今から80年前の大正15年(改元して昭和元年)12月4日に、山形県選出の衆議院議員故松岡俊三氏の講演会が大石田町でありました。その折、積雪は3尺、雪道の光景に驚き、激しい陽気の変化にあったために松岡氏は猛烈な肺炎を患い、そのまま山形市の済生館に入院することになりました。その病室で、ガラス窓外の黒塀にしんしんと降り積もる連日の雪を眺めては、ため息を吐かざるを得なかったそうです。

 松岡氏の記述では、「息もつかずに止みなく降る雪には、『おお綺麗だ、美しい雪だ』などという観念が微塵も無くなり、『只々恐ろしい雪だ、病人を沢山と作る悪魔の雪だ、生産を奪う憎い雪だ、住民を劣敗の地に墜とすのみの雪だッ』というように思い詰めた」(雪の日本社発行『残酷を極むる雪害地の地租解剖』「序文」による。引用の際に、強調した箇所は鍵括弧を付し、適宜常用漢字に改めた。)ことが、同氏をして雪害問題を提唱するきっかけとなったといわれています。

 そこで、昭和3年1月に新庄町(現在の新庄市)で雪害問題の政治的解決に関する意見を公表し、雪害対策の運動に生涯をかけることとなりました(写真参照)。具体的な雪害対策運動としては、昭和5年の「義務教育費国庫負担法」に「雪害」という字句の追加や、昭和7年の内務省への「雪害対策調査会」の設置、翌昭和8年の農林省付属の「積雪地方農村経済調査所」の開設などに実を結びました。雪害対策調査会では、「雪害とは何か」、雪害地の決定根拠、霜害、雪利、雪害の応急対策と根本対策、世界各国の雪害事例調査、気象台による雪の調査、雪害地の認定官庁等を主な議論の対象としていました。その具体的な調査の一環として、昭和8年1月に雪害の実情視察のために、調査団一行が大石田も訪れ、豪雪地の現状をつぶさに確認し、帰京したことがあります(写真参照)。

 以上のように、「雪害」という言葉と大石田が、故松岡俊三氏らの尽力とともに、関わりが深いということを紹介しました。


雪害状況視察のため来町した調査団(昭和8年1月)

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